何のために弾くか

もう十年ぐらい前のこと。

高校の時の仲良しのTちゃんに聞かれました。

「なんのためにピアノを人前で弾くの?自己顕示欲?」

私にとって衝撃的な質問でした。
だって、子供の頃からご飯を食べるぐらいに当たり前にピアノを
弾いてきた私にとっては、何のために?なんて
思いもよらない疑問。

大学までは試験や発表会で何の疑問もなく弾かねばならないこととして
演奏し、大学をでてからも仕事で必要があって弾いていたので
そんな疑問には行き当たりませんでした。

自己顕示欲と言われて、ちょっとカチンときたけれど
全くないと否定できるかと言うと否定もできず
その場ではうまく返事ができませんでした。

つまり痛いところをつかれた、、ということなんでしょうね。
言われた当初は、その質問と向き合うこともできず
私は逃げようとしていました。

この質問だけとりあげると、まるでTちゃんが意地悪な人のように
聞こえるけれど、彼女は本当に温かくで素敵な友達。

開けっぴろげで、裏表がなくて、会話にタブーの無い人。

いつも聞きたいことを真正面から聞き、私に悲しいことがあると
一緒に泣いてくれて。

彼女の家と私の職場が近かったときは、道ばたでバッタリ会うこともあり
そんなときは「泊まりに来いよ。」と言ってくれたりして
旦那さんとともに三人でご飯を食べたり。

そんな仲良しの彼女からの質問だったので
彼女の言葉は私の中にいつまでもいつまでも残り
はじめはその質問から逃避していた私も
少しずつそのことについて真剣に考えるようになりました。

一年ぐらいたって、答えはでないものの、
ようやくその問題を痛いものとしてではなく考えられるようになったころ
忙しさの中で一年ぐらいご無沙汰になっていた彼女の旦那さんから
携帯に電話が入りました。

一月のことでした。

「うちの奥さん、十月に亡くなったんだ。
高校の名簿がみつからなくて、高校時代の友達には誰にも
知らせられなくて。もらった年賀状をみて
今、やっと電話できたんだけど、、」

なんのことか、わかりませんでした。

でも後から後から涙がでて、
電話をとった駅の構内のその場にしゃがみこみ
ただただ泣き続けました。

彼女を失った悲しさと、彼女にもう会えない悲しさと
死とむきあい病と闘っていた彼女に何もしてあげられなかった切なさと
彼女の質問についてやっと向き合えたときに
それを語り合えない悲しさと。

Tちゃんがいなくなってから、私のなかでは
「なんのために弾くのか」という質問はさらに
大きなものになっていきました。

あまりに大きくなりすぎて、演奏ができなくなったときも
ありました。

そんなある日。

「聴く」ことで意識を開いていくという面白いレッスンをする先生と
出会いました。

その先生との会話のなかで「何のために弾くのか」という話がでました。

もうその頃、私は自分の曲をかいたりしているころで
私の中にはこれを聞いて、相手に元気になってほしいとか
安らいでほしいとか、使命感もないし、
これを伝えたいとか、わかってほしいという思いもないので
なんのために?と考えると困ってしまうという話を
したように思います。

今もそうだけれど、私は聞こえたから弾く。
弾きたいから弾く。

でも伝えたいものがないのに弾いていいのか?という思いと
私はピアノが上手ではないから
本当はもっと上手な人に弾いてもらうほうがよいのでは?
私の弾く意味はあるのだろうか?という思いが
私の中に渦巻き「私が弾く意味」にたどり着くことが
できませんでした。

そんな私に先生が言いました。
「あなたの曲はあなたのものではないと思います。
あなたを通して外にでたがっている音楽なのだから
あなたはそれをできるだけ汚れをつけずに外にだして
あげればいいと思います」

それを聞いて、いままでどんな答えも受け取らなかった私の心が
素直にそれを受け取るのを感じました。

「あ、それでいいのか。それならできる。それなら。。。」

そして、私を通してでたがっている音楽という考え方をすると
確かに私の中で鳴っている音楽は私にしか外にだせないということも
納得がいき、じゃあ、私が弾くしかないという思いに至りました。
(いくら楽譜に書いても弾き手によってニュアンスが全く変わってしまいますから)

そして「なんで弾くの?」に答えられなかったのは
私より上手に表現できる人がたくさんいるのに
私が弾いても仕方ない、という劣等感が大きく影響していたということにも
気づきました。

上手下手関係なく、私は私の中に聞こえたものを
一生懸命弾いていこう、そう思うことで
やっと本格的な音楽活動へ踏み切ることができました。

「whispers of fairies」を方向性も主張もとくに持たせずに、
ただそこにある音楽にしたいとCDの帯に書いたのには
そんな背景があったのでした。

これから先、自分と音楽の関係がどうかわっていくのか
私にはわかりません。
でも、常に私の中にあるTちゃんの「なんのために弾くのか」という質問が
私をより私らしい音楽活動へと導いてくれると信じています。

今年もTちゃんの亡くなった十月がやってきました。
毎年、十月には高校の友人と必ずお墓参りにいきます。
今年はそれが今日でした。

彼女のことを思い出しつつ、彼女のくれた宝物について書いてみました。

なんとなく、、、

十月一日は義理の母の誕生日でした。

義理の母は、私の母と趣味や好みが全くちがうので
プレゼントを選ぶとき、「よろこんでもらえるかしら」と
ドキドキです。

さて、去年の誕生日のこと。
プレゼントを選びに新宿のとあるデパートにでかけた私。

デパートの中を歩いていると、なんとなくおりたたみ傘に目が
いきました。
傘は、プレゼント候補に全くはいっていない品だったのですが
なんだか、その場から動けなくなりました。

じーっと傘を見ていたら
店員さんが、どんどんどんどん傘を広げてみせてくれるので
なんとなく傘がいいような気持ちになって
折りたたみ傘を買うことになりました。

ほとんど買うはめになった、、みたいな感じでした。

帰り道、なんとなく傘が気になって仕方なかったから
買ったけど、良かったかなあ、、、
本当は他のものにしようと思ったんだけどな、、なんて思いました。

ところが、誕生日の日。
プレゼントが到着した母から電話がかかってきてびっくり。

「みな子ちゃん!ありがとう!昨日ね、折りたたみ傘がこわれて
ゴミにだしたところだったの。買おうと思っていたら、今日傘がとどいて
うれしいわ!」

ですって!

そして、今年。

また同じデパートにでかけた私。

今度はなんだか吸い寄せられるように、刺繍つきの手提げのところに
行きました。

なんだか、どうしてもそれが気になる。

けれど、傘なら誰でもつかうけれど、この手提げは使うかどうか
わからないよね。。趣味もあうかどうか、、。

そう思ったら自信がなくなり
一旦、その売り場からはなれて他の売り場に行ってみました。
…が、しかし。。まったく目ぼしいものはみつからず。

やっぱり。。。と思って、さっきの手提げのお店にUターン。

すると、手提げを眺める私に見知らぬ買い物客のおば様が
突然話しかけてきました。

「その手提げね、私、持ってるの。いいわよ。ポケットもついてて、
使いやすくて、とってもいいわよ」

よく見ると、母と近い年代の女性。

「私ぐらいの年代の人たちは、こういう大きさのこういうのを
使う人が多いのよ」

店員さん顔負けの勢いで手提げをすすめるおばさま。
そのお店のファンらしく、そのお店の商品を三十年以上愛用しているとのこと。

そのおばさんと話していたら、そこに店員さん登場。ダブルです。
もう完全に買う流れです。
手提げはやめておいたほうがいいんじゃないか、
もっと無難なものはないか、、なんて
もう今更言える感じではなく、、そのうち
「この手提げが良いに違いない」という気分にさせられ購入、、、。

帰りの電車にのって
「大丈夫かなあ。手提げは好みもあるし、使うかどうかわからないけれど、、」
とぼんやり思う私。。

ま。なんか楽しく買えたからいいか、、。。

そして今年の十月一日。

母から電話がありました。

「みな子ちゃん!ありがとう!お母さんね、手提げを買おうとおもってたの。
このぐらいの大きさの!去年も傘を買おうと思ったときに
傘が送られてきて、今年は手提げを買おうと思っていたら
手提げがおくられてきて、とっても嬉しいわ。」

ひゃ〜〜〜〜。

一昨年やその前に贈り物をしたときは、買おうと思ってて、、なんて話を
されたことはなかったから、きっと本当にそうなんだとおもいます。

なんとなく、、とか流れで、、、って
案外侮れないものですね。

自分の頭で考えたことと食い違っていても
なんとなく思ったことを信じてみる、なんとなくきた流れにのってみる、、と
面白いことがおきるのかもしれませんね♪

何にフォーカスするか。

私は結婚したころから、とにかく起きたことを
「ついている」と思うようにしています。

もともと夫が持っていた習慣で、私もまねしたのですが。

うちの夫は私がしょぼくれていても慰めません。
慰めたら「悪いことがおきたことになっちゃう」からだそうで。
どんなことでも、良いことにつながっている「ついてる」出来事と
信じているのですね。

その意思の強さったら相当なもので。。

私が結婚式の一ヶ月半ぐらいまえに、表参道の駅の階段の
一番上から前をむいたまま落ちたときのこと。
エンゲージリングに傷をつけて、足を打撲
顔だって打っているのに、一言も慰めませんでした。笑。

駅まで迎えにきてくれて、足が痛くて曲がらず
階段をおりられないと言ったらおんぶしてくれましたけど。

そんな強固な意思をもった人と結婚した私は
すっかりとそれが移り、その考え方が定着しました。

それが、今年のできごとを乗り切るのにどれだけ役にたったか
わかりません。

父が倒れて、もう手足がうごかなくなりますと言われた日の晩
私は布団のなかで思いました。

「でも、命がなくならなくてついてた。そして言葉を失うことが
なくてついてた。」って。

だから神様に言いました。
「父の命をとりあげないでくださってありがとうございます。
そして言葉を奪わないでくださってありがとうございます」って。

そうお祈りしたら、その翌日、父の手足が動くことがわかったのでした。

私、ずいぶん強くなったし、前向きにとらえることが
できるようになったと思っていたら、
なんと父のほうがずっと上手でした。

だって、よその人に自分の体験を話しているときに
「戦争のとき、汽車にのっていたら機銃掃射がやってきて
右手を撃たれたんですけれど
ちょうどその汽車に医学生がのっていて
止血が上手だったんで命をとりとめたんです。
ついてるなと思います。今回も会社で倒れたので、
すぐに病院に運んでもらえてついてます。
自宅だったら病院に運ばれるまでにもっと時間がかかったと
思うので。」って笑顔で言うんですから。

どっちも命がけの話なのに、ついてるって。。。
そこまで言えるっていうのは、どれだけの前向きさなんでしょう。。

さて、そんな父と病院でのリハビリ生活の間、
今回どんなについていたか
「ついていたこと」を数えてみました。

倒れたのが祖母のお葬式の後で「ついてた」。
祖母に心配かけずにすんだ。

私が時間の自由のきく仕事になった今、倒れたのは
本当に「ついてた」。
時間に職場にいく仕事でもっともっと忙しかった時期も
あったから、そのときだったら、今みたいに父の力になれなかった。

倒れたのが、兄が地方に転勤しているときではなく東京にいるときで
本当に「ついてた」。

倒れたのが私の手の痛い時期で本当に「ついてた」。
だって心おきなく父の世話ができるもの。

父が社会福祉の仕事をしていた関係で
リハビリの先生はもともとよく知っている方が多いというのも
「ついてた」。

…なんて話していたら、
私は、な〜んだ!今年ってすっごいついてる年なんだ!という
気持ちになってしまいました。

だって、こんなについている状況で、動かないと言われた身体が
動いているんだもの。
今だかつて、神様がこんなに応援してくれた年があるかしら!

そう思ったらすごく元気になってしまいました。

私の昔の口癖は、「私、かわいそう」だったんです。笑。
よくないことをよく数えあげていたっけ。

そんな私だったら今年は乗り切れなかったな。(って、まだ終わってないけど)

ついてるって思うだけで、現実が輝いてみえる。
それだけで元気がでて、前に進んでいくことができる。

いつもプラスにフォーカスする習慣って
大切だなってしみじみ実感しています。

ついている父は、とうとうパソコンを再開。
メールをだすところまで回復しました。

スキップができるぐらい(笑)元気になるまで
しっかり応援するつもりです。

変化

先週は、三日間の父の検査入院がありました。

三日間付き添っていたので、大忙しではありましたが
これで、大きな検査も治療もほぼ終了。
あとは、父は薬を飲みながら、社会復帰にむけてひたすら
前進するのみとなったので、私もほっとしています。

父が病気になってから、私の中にはいろいろな変化がありました。

その中で一番大きかったのは、私にとって両親が
「両親」ではなく「一人の人間」になったこと。

いつも当たり前のように自分を守ってくれていた存在が
一瞬にして自分が守っていかないといけない存在に変わりました。

動かない身体を一生懸命動かしてリハビリにはげむ父を眺めているうち、
その向こう側に一人の人間として懸命に生きてきた父の姿が
見えてきました。

そしてそれと同時に母の「母としての人生」「人としての人生」も
見えてくるようになりました。

すると自分を育ててくれた両親に、本当はこうであってほしかったとか
なんであの時こうしたのか、なんであの時こう言ったのかと
今まで不満に思っていたことが、なんだかどうでもよいことに
なってしまいました。。

親だから愛してくれてあたりまえって、心のどこかで
思っていた。

「本当はもっとこうできたはずなのに」そうしてくれなかったと
心のどこかで責めていた。

でもそうじゃないんですよね。

みんな自分の人生を生きるだけで精一杯。
その中で子供を物理的に育てるだけだってすごいこと。

だからもう生んで育ててくれた、それだけで十分だったのに、
育て方がどうだったとか、あれこれ言うのは
やっぱり甘えなんでしょうね。

育った時代も環境も違うんだもの。
考え方が違ったって当たり前。
だからお互いにぶつかったり、気に入らなかったりすることが
あって当たり前。

でも少なくとも両親が私にしてくれた全てのことは
それが最善と判断して行なわれたこと。

それが私にとって嬉しくないことであったとしても
両親は愛情と信じて行なったこと。

「してくれなかった」ことは、「できるのにしなかった」のではなく
「できなかった」こと。

そう思ったとたんに、長い長い間、私の心の中にあった固いものが
すっと溶けてきました。
今まで何をしてもなくならなかったのが嘘のように。

そうしたら、私の中に「私はこの家の子として生まれてよかったのだ」
という気持ちがやってきました。
別に疑問をもっていたつもりはなかったのですけれど
とにかく家族とぶつかってぶつかって大きくなったので
どこか心の片隅に疑問があったのかもしれません。

それから数日後、今までどうしてもつきまとっていた
自分に対する嫌悪感のようなものが溶けて流れていくのを感じました。
同時に今まで「もらう資格がない」ような気がして、しっかりと味わうことが
できないでいた自分のまわりの人たちの優しさを、色鮮やかに感じることが
できるようになりました。

両親を肯定することは、きっと自分自身の存在を肯定することに
なるのでしょうね。

考えてみれば、両親は自分の命の源なのですから当然ですけれど。

父が倒れたことは本当に大きな衝撃でしたが
その分、普通ではおこらないぐらいの心の大転換と
大きな気付きが得られたみたいです。








眠る前の習慣

みなさんは、何か眠る前の習慣をもっていますか。

幸せな気持ちで眠るとよい朝を迎えることができるという話は
以前から聞いていたのですが、いつもいつも幸せな気分にもっていくのは
難しいなと思っていた私。

それどころか今年は何かと慌ただしい日々を送っているので疲れ果てて
倒れ込むように眠ることもしばしばでした。

しかし!最近思い直すきっかけがありました。

先日お知らせした、田中良枝さんの「ドラゴンノート」の中に
その日関わった人みんなに心の中でお礼を言って眠るということが書いてありまして。
(本には自分にもお礼を言うとよいとも書いてありました)
本で読んだときは、なるほどと思ったのに忘れていました。。。笑。

ところがある日。
どうやっても眠れない夜に、ふとそのことを思い出したのでした。

その日会った知り合いから、買い物した店の店員さんにいたるまで
、心の中でお礼を言ってみたらあら不思議。いつの間にか気持ちよく
眠ってしまいました。
お礼を言っていたら心の中に幸せがあふれてきて
ふんわり身体が緩んだような気がしました。

さて、そのよく朝。

朝がまったくダメな私が、ぱっちり目を覚まし気分爽快。

うそ〜。偶然でしょ〜。

疑い深い私は次の夜もお礼を言って眠ってみました。

すると次の朝も気分爽快!

やっぱり偶然じゃないみたいだなぁ。

気を良くした私はしばらく眠る前のこの習慣を続けて、快調な毎日を
送りました。

ところがある日。

くたびれすぎて、何もしないで眠ったら。。。

また朝ドロドロの私に戻ってしまったのでした。

爽快な朝が当たり前になっていたので
はじめは「なんでだ〜??」と思ったのですが、
しばらく考えて「あ!」って気づいたんですね。

びっくりです。

寝る時の気持ちが、次の日にこれほどの影響があるとは!
潜在意識おそるべしです。

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プロフィール

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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