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2012-11-28 11:04 | カテゴリ:
先日、相田みつをギャラリーに行ったこともあり
最近、相田みつをさんの本を読んでみました。

その中の
「自分が自分にならないで 誰が自分になる」

という言葉が、とても心に響きました。

素敵な人を見ると、憧れたり、こんな風にはなれないと思ってみたり
色々あるけれど、そんな外のものを追いかけている間
「自分」は、ほったらかしになっていたのだなあと
思いました。

自分がせっせと「誰か」になろうとしているときは
どんなに頑張っても、心はむなしい気持ちや
焦りで一杯になる。

自分が、せっせと「自分」になろうとしているときは
心が満たされて幸せ。

どうせ何かになるなら、自分になるのが
いいに決まっているのに、時々忘れる。笑。

娘が生まれたとき、とても感動したのは
人は生まれながらにして、こんなにもしっかりと
個性があるのだということ。

もともと、どんな子に育ってほしいとか
そういうことは考えていなかったけれど
娘を見たら、「なんだ、どんな子になるも何も、、、
この子はこの子になるだけなんだな」という
思いを深めたのを思い出しました。

「自分が自分になることに一生懸命になって生きる」のは
シンプルで簡単なことのようだけれど
意外とそうでもない。

でも、みんなそれぞれが、自分になることに一生懸命になって
そして、他人が「その人自身になること」を応援できたら
自分自身も、人間関係もとってもハッピーになる気がします。
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2011-03-11 08:50 | カテゴリ:
最近、ふと本屋に立ち寄ったときに目に飛び込んできた
やましたひでこさんの「断捨離」の本。
http://www.amazon.co.jp/断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵-やましたひでこ/dp/477620634X

「断捨離」とは、モノと向き合い、モノを絞り込み、モノを手放していくこと。
そして、自分自身を知り、心の混乱混沌をも取り除き、人生をよりごきげんに
導いていくための行動技術なのだそうです。

ときどきテレビでも話題になる「断捨離」。

以前、別の「断捨離」の本を手にとったことがあるのですが
私はモノを捨てることが、基本的にそれほど苦ではないので
それほど強い興味をもつことはありませんでした。

しかし。

なんだか最近、心のデトックスの時期で
いろいろ溜め込んでいたものをだしたりしながら
ちょっと混乱、混沌気味な日々を送っていた私。

ふと手にとったその本をぱらぱらめくった
途端、目が離せなくなりました。

本の内容で一番心惹かれたのが
捨てられないモノから自分の心の問題が見えてくるという
お話。

何にしばられているか、何を恐れているか。。

モノを選別しながら手放していくことで
縛りや恐れを手放せるということなんだそうです。

なるほどなあ。

でも、年末に大掃除で大きなゴミ袋何袋も捨てたんだけどなあ。。

しかし、もう一度部屋を見直してみることにしました。。

そして、敢えて「これは当然捨てないもの」として
とっておいたものが、本当に必要か1つ1つ考えてみることに
しました。

自分の「今の心地よさ」にフィットしたものだけを残して
ごきげんに暮らせるようにを目標としているので
頭で考えずに、それを手にもった瞬間の感情が
ポジティブかネガティブでどんどん判断してみることに
しました。

すると。

捨てるものが、どんどんでてきました。
大きなゴミ袋に5袋。笑。

意外と普段家で身に付けているものでも
ネガティブな感情のわくものが結構あることに
気づきました。

衝撃。

日々をできるだけ、大事に快適にとか
言っておいて、私ったら。。。。笑。

目に入るもの、身につけるもの、使うもの
身のまわりのすべてが、そういうものだったら
毎日楽しくなるに決まっているのに。

そこ基本でしょ!と思わず自分につっこみたくなる。

さらに、、。もう絶対着ないのにとってある
何着かの洋服がありました。

私は似合わなくなったら、基本的にすぐに服は
手放すのですが、それだけは「当然のように」クローゼットに
ずっとありました。

それは、両親からもらった服でした。

愛着というよりは、手放すことの罪悪感のほうが
強いような気がしました。

手放すと両親が悲しむような気がしていました。
もちろん無意識で。

そこで、自分が無意識でどんなに「両親の期待に応えようと」
思って生きてきたかが浮き彫りになった気がしました。

ときどき両親に縛られているような気持ちになることが
あったけれど、その縛りを作っていたのは
実は自分だったのだと気づいた瞬間でした。

モノの選別を行ううち、ポジティブそうなものでも
じつはネガティブというものもあるのに気づきました。
(本にもその話がありますが)

昔の「よかったこと」の証拠としてとってあるもの。
「記念」じゃなくて、「証拠」。
なんだか変な執着のあるもの。

そういう場合は「楽しかったとき」のものでも
やっぱりネガティブなモノとして、手放すことにしました。

自分の気づかぬ執着を間のあたりにして
びっくりしました。

「断捨離」、本当に、ちょっとしたセラピーよりも
ずっと自分のことがよく見えてきます。

モノを手放す作業をしながら、ふと昔、
婚姻届をだした日の夜
夫が食事をしながら私に言ったことを思い出しました。

結婚準備で色々楽しいことがあるたび
それを写真におさめ「楽しい思い出を
集めてとっておこう!」と言う私に
夫が「いいことでも悪いことでも、思い出に執着することは
今でもなく未来でもなく、過去にフォーカス
しているということだよ。
過去にフォーカスしている限り、過去にしばられるよ。」と
言ったのです。

ロマンティックじゃないなあ~とそのときは思ったけれど
「断捨離」をしていると、その意味がよくわかります。

過去のものを握りしめて、過去にフォーカスしていると
良いことも悪いことも全ての過去に縛られる。
つじつまをあわせたくなったり、それを超えようとしたり
それを維持しようとしたり、そうならないように必死で
防御したり。

でも、過去を手放すことで「今、この時の私」の心を
大切に生きることができる。

ちっともロマンティックじゃないなと私が
思った彼の言葉は
これからの私たちの毎日を新鮮に楽しく生きて行こうという
とても前向きで希望に満ちたセリフで
本当はとても素敵な言葉だったのだと
今頃気づいた私でした。
2010-09-14 09:55 | カテゴリ:
新風書房というところから、「孫たちへの証言」という本が
http://www.shimpu.co.jp/mago/
毎年八月に出版されているそうです。

これは、戦争体験をされた方々からの体験談を募集して
作られている本だそうです。

今年出版された第23集に、私の父の体験が掲載されました。

父は12歳の時に、通学途中、列車にのっていて機銃掃射の銃撃にあい、きき手である右腕を
失いました。

大きな破壊力のある機銃掃射だったらしく、その弾丸は
列車の車体の鉄をも貫くものだったそうです。

多くの人がそこで命を失いました。

父と一緒に列車にのった友達も亡くなったそうです。

父は列車に偶然のっていた
医学生の止血の処置がよかった御陰で命をとりとめました。

麻酔もなく手術が行われ、手術の翌日、病院のある東岡山も空襲の
おそれがあると言われ、そのまま退院したそうです。

それから数週間後に戦争は終わりました。

父は左手を利き手として
使うべくひたすら努力をしたそうです。
原稿には泣きながら、、と書いてありました。
無理もありません。大人だって耐えがたいことを12歳の少年が
何の社会的サポートもなく乗り越えるのですから。

私は、最近まで父の口からその話を聞いたことがありませんでした。

小さい頃、一緒にお風呂に入ったときに、腕ばかりでなく
足にもお腹にも大きな傷があることが、不思議ではありましたが
私にとっては、それが「父の身体」であり
だから、それについて質問したこともありませんでした。

父は怪我をしたあと、勉強を重ねて、大学へ進み
さらに大学院にすすみ、そして福祉の会社に就職しました。

そして結婚して、私と兄を育て、二人を私立の大学に通わせてくれました。

父は何でもできたので、手が不自由であるということを
私は全く感じないで私は大きくなりました。

父は自転車にものれたし、自動車の運転も上手だったし、日曜大工も上手。
掃除も洗濯もできたし、台所にたつこともできました。
本当に普通の人と何もかわらないぐらい、それ以上に何でもできました。

私にとっては、それが当たり前の父の姿だったけれど
父の戦争体験を読んで、それができるようになるまでに
どれだけの苦労があったのだろうと思い、胸が痛みました。

そして、そうやって苦労して使えるようになった左手が
二年前の脳出血で動かなくなりました。

その事実を知ったら、父がどうなってしまうんだろうと
私はそれだけが心配でした。
だって、自由になる手がなくなるのですから。

しかし、目覚めて事実を知った父は私に言いました。

「どんな時もね、目の前にあることを文句を言わずに
一つずつやっていけば必ずものごとは解決していくもんだよ。
だからリハビリを頑張ってやったらきっと動けるようになる。」

私はそれに対して何も言うことができませんでした。
何か言ったら泣いてしまいそうだったから。

そして二年たち、父の手足はずいぶん回復してきました。
思い通りに動く手がないので、生活はまだまだ不便ですが
父は病院で目覚めた時に言った通り
毎日、山ほどあるリハビリメニューをきっちりとこなし
日々どんどん身体が自然に動くようになってきています。

今年77歳になった父は
パソコンをつかって仕事もしているし、時には会社の会議にも出席しています。
コップを持って水ものめるし、一人でお風呂にも入れるし
ご飯も一人で食べられるようになりました。
目薬をさすこともできるようになりました。(これは、とっても大変なことなんです)

今は辞書をひきながらイタリア語の童話を訳して
勉強をしたりもしています。

リハビリの先生は口々にここまで良くなった人はみたことがないと
おっしゃり、何かあると研究発表の場で父の症例が
発表に使われているとのことです。

父の人生を改めて、すごいものだと思うのと同時に
我が父ながら、その強さに感動します。

そして、思うのです。あの、父の乗った列車が銃撃を受けた日
医学生が乗っていなくて、父がその場で息絶えていたなら
私は今存在しないのだと。

命がどんなに、きわどいところでつながれて
私のところまでつながったのかを、しみじみ感じます。
日本の歴史は平和な時代ばかりではなく
当たり前のように人が亡くなっていく時代がたくさん
あったわけで、その中で奇跡的につながってきた命のバトンを
受け取った人が、今この世にいる人なのだと思うと
「生きている」ということに感動さえ覚えます。

人が生まれることは、数えきれないほどの偶然が重なって
おこるもの。

父の原稿を読んで
自分がもらった命の有り難さを改めてかみしめた私でした。
2010-06-12 23:20 | カテゴリ:
最近、我が家で流行っている本、それは。。。
「引き寄せの法則」

http://www.amazon.co.jp/引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-ジェリー・ヒックス/dp/4797341904/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1276349286&sr=8-2

この本の内容を、ざ~っくりと一言でいうなら
宇宙には「似たもの」を引き寄せるという法則があるから
いいものを引き寄せたければ、いつも明るくご機嫌でいることが大切、、というもの。
(ざっくりすぎ?笑)

ご機嫌でいれば、ご機嫌になるようなものが集まってきて
腹をたてていると腹をたてるようなものが集まってくるそうな。

さらに、願い事は「明るくていい気分にでいるときに叶う」らしく。。。

と、聞いたら、まず試してみたくなるじゃありませんか。

もちろん、やってみましたよ~。

これを試すこと一ヶ月以上が経過した今、思うことは、、

「これって本当かも~」ということ。

自分の気分や考えていることと、自分に起こるできごとの関係を
丹念にみていくと、本当にこの本の通りなんですよなんですよ。
(一緒にやっている夫も同意見)

びっくりだなあ。。


さてさて、今日の私は「ご機嫌絶好調」だったので、びっくりするぐらい
ご機嫌が引き寄せられてきました♪

今日は大好きなアレクサンダーテクニークのレッスンの日。

レッスンはいつものように楽しく、身体も整えて頂き
足取り軽く護国寺駅に向かった私。

駅に着くと「有楽町線は事故で止まっている」と
アナウンスがはいっておりました。

あれ?おかしいな。私、こんなにご機嫌なのに?と思ったそのとき
むこうから元気にあるいてきたおばさまが
「電車とまってるわよ。あなた、どこへ行きたいの?」と言いました。

「えっと、、池袋まで。。。」と言うと
「じゃあ、丸ノ内線の茗荷谷まで私と一緒に行く?
私、四年前までこのあたりに住んでいたから、この辺詳しいの」とおばさま。

護国寺からどうやって動いている線までたどり着けばいいのか
見当もつかない私にとっては、なんて有り難い話!

「ぜひ!」と言って、おばさまと歩き始めたところで
またむこうから、駅に向かう人がやってきました。

おばさまは、またすかさず「電車とまってるわよ。あなたどこへいくの?
一緒に茗荷谷駅に行かない?」とその人にも声をかけました。

その人も私と同じ池袋に行きたい人だったので
「助かります~」と言って、私たち「茗荷谷駅行きご一行様」に
加わりました。

すると、今度はおばさまが
「三人だからタクシーでいかない?ワンメーターで行けるから、三人なら安いでしょ」と言いました。

すると、目の前にす~っと空きのタクシーがやってきました。
(どれだけ調子いいんでしょう?)

そのタクシーにのって茗荷谷駅につくと
おばさまは「私は銀座の美容院にいくから。元気でね」と言って
去っていきました。

丸の内で線にのって池袋に着くと、有楽町線の改札の周りは人でいっぱい。
電車はその後も随分長いこと動かなかったみたいです。

みんなが改札でうろうろしながら困っているのに
あれよあれよと言う間に、池袋にたどり着いた自分が不思議でした。
(何しろ困った、、、と悩む時間さえなかったのですから。笑)

今日は調子がいいなと思った私は、今度は池袋西武に行きました。
演奏用には社交ダンスの靴がいいと聞いたので、とりあえず西武に行ってみたものの
社交ダンスの靴なんてどこに売っているかがわからない。。

そこで案内嬢のお姉さんのいるところへ行きました。

「社交ダンスの靴、取り扱っているところありますか?」と聞くと
明らかに研修中だなというお姉さんが
「チャコットが西武から撤退いたしまして、、、。え~確認してまいります、、、、」と
言いました。

するとその瞬間、横から研修監督らしいベテラン案内嬢さんがやってきて
「チャコットは池袋駅西口に大きな店舗ができました。
西武からは撤退いたしましたけれど、そちらでお買い物して頂くことはできますよ。」
と言い、なんとチャコットの場所と営業時間、定休日まで教えてくれました。

よそのお店のことなのに、そこまで案内してくれるなんてすごい!

今日はいい感じだぞ~と思い、チャコットの閉店まで40分ぐらいしかありません
でしたが、お店にいってみることにしました。

すると、チャコットの一階に社交ダンスの靴がいっぱい並んでおりました。

靴の前に行くと
「社交ダンスの靴をお探しですか?」と店員のお姉さん。

「踊るんじゃなくて、ピアノを弾くのに使いたいんです」と
言うと、店員さんは「そういう方は多いですね。ピアノの方に人気なのはこれで、
ペダルを踏み易いのはこれですよ」と靴をだしてくれました。

店員さんの言うとおり、ペダルを踏み易いと言った靴は
本当に履き易く、足にフィットしていい感じ。

ダンスの靴売り場の店員さんが、ピアノのペダルを踏み易い靴を
教えてくれるなんて、思いもしませんでした。

またしても、いい人に出会って、わずか30分でお買い物終了。

流れのいい日ってすごいなあ。
やっぱりご機嫌にしているに限るなあと実感した一日でした。

流れのいい中で買ったピンクゴールドの靴。

Image048.jpg


この靴とこれから舞台でずっと一緒なんて、なんだかいい感じ☆
2010-01-13 11:01 | カテゴリ:
先日、山崎房一さんの「心が軽くなる本」というのを読みました。

http://www.amazon.co.jp/心が軽くなる本―この発想法でストレスを吹き飛ばせ-山崎-房一/dp/4569534538/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1263344947&sr=8-2

本の中に書かれていた「心の中で思うことは罪にはならない」という内容が
私の心をとらえました。

「思いが現実になる」という話を耳にしてから、私はどこか
自分が「思うこと」を検閲するようになっていたなあと思います。

悪いことや意地悪なことを思うだけで、自分の心が汚れてしまうような気もちに
なってしまったり。

だから自分の心の中の、きれいとは言いがたい感情を見た時
自分自身に嫌悪感を感じることがあり、それはいつの間にか
「自分が思ったこと」さえ、思わなかったことにしようとする
心の動きにつながっていきました。(全部、無意識でしたが)

それをはっきりと感じたのは

この本の中のあることを実行してみたときでした。

それは「自分の中に卑小感や罪の意識が強くなったら、
自分の存在を脅かしている人物を思い浮かべて、胸の内で
“わたしはお前さんが大嫌いだね。生まれる前から大嫌いでしたよ”と
十回言ってみましょう」というようなもの。笑。

自分の中に卑小感や罪悪感が強くなっているときは
他人との関わりに関する計算や価値観に左右される「理性」という色眼鏡を
通して世界を見ているということだから、
上記のようなことをして、それが吹き飛ばしてしまえば
自分の中の恐れがなくなり自分の中に力を取り戻すことが
できるということのようです。

私はしばらくこれを一人で楽しく思いきりやってみました。

そして気づいたのです。
随分「思っていないこと」にしていたことがあったことを。

嫌だと思っているのに、「この人にはお世話になったから
そんなことを思っちゃいけない」とか
「この人には感謝すべき」だとかいう考えが
私の正直な感情を随分封じ込めていたということを。

「こんなこと思っちゃいけない」って思った段階で
すでに「思っている」ってことなのに(笑)
それを慌てて否定しているなんて、考えてみればおかしなこと。

そして、さらに面白いのはさんざん「大嫌い!」って心の中で
言ってみると「でもさ、こんな良いところもあったよね」ってその
相手の良かったところを素直に思い出せたりすることです。

これは理性でコントロールした感情ではなくて
素直な感情だから感じていても心地いい。

この本では、とにかく思っていることを裁いてしまうと
生きていくパワーがなくなってしまう、どんなことを思っていようと
今の自分に百点満点をつけなさいと書いてありました。

そして世の中や人生は善悪の両面からできているのだと。
人の心の中の優しさや正しさの反対にある、
きれいごととは無縁の荒々しいパワーが
世の中を動かしていくとありました。

このパワーの正体は感情や本能であり
このパワーが生きる情熱の強さだということだそうで。

だから感情や本能を理性で押さえつけすぎると、
元気に生きていけなくなるということですね。

う~ん。心あたりがあるなあ。

一見よくないものに見える(私のなかでは、あっては
いけないと思っていた)
荒々しい感情が、生きて行くパワーなんだという話は
なんだかとっても私の心を楽にしました。

な~んだ~。何も変えなくていいんじゃない。。って思ったら
なんだかとっても幸せな気分♪

自分の感情を検閲して裁かないこと。

これは幸せに生きて行くのに多いに役にたちそうな知恵です。
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