言ってしまう訳
2007.07.30.00:22
「悪口や文句は、言わない方が良い」というのは、おそらく
多くの人にとっての常識だと思います。
悪口や文句を多めに言っている人だって、小さい子供に
「悪口や文句は良いことか悪いことか」と聞かれたら
悪いことと答える人が多いと思います。
では、そうと知っていて人はなんで思わず悪口や文句を言ってしまうんだろう。
そんなことを真剣に考えてみました。
先日、思わず相手の行動や言動について、非難めいたことを言いたい気分になる
出来事に立続けに遭遇しました。
最近は、あまりそういう場面に遭遇していなかったため
不覚にも(笑)私の心は大いに乱れました。
口には出さないものの、心の中には相手を非難する言葉が
次から次から溢れでてきました。
「ああ!誰かにこの気持ちを聞いてほしい!」強くそう思いました。
でも、悪口や文句は言ったところで後できっと自己嫌悪に陥るに違いない
言ってしまったことでもっと嫌な思いをするに違いないと
もうひとりの私が言いました。
その時「それがわかっていて、なんで言いたいって思うんだろう」という疑問が
心の中にあがってきたのですね。
静かに自分の心を観察してみました。
そして、わかったのです。
悪口や文句は、自分を正当化したいときに言いたくなるのだなあって。
「私は間違っていない」って誰かにその気持ちを受け止めてほしくて
言うのだなって。
傷つかないための一種の防御なんですね。きっと。
なんだか粗末に扱われた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「私はそんな風に扱われるほど価値のない人間じゃない」ということを
誰かに認めてほしいからかも知れない。
自分の行動をとがめられた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「私の行動は正しかった」という気持ちを誰かに受け止めとほしいからかも知れない。
人の行動が気に入らない、こんなときに文句を言いたくなるのは
「自分の価値観の方が正しい」と誰かに確認したいからかも知れない。
ひどいことを言われた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「もしかして言われた通りなのかも、、」と不本意な言葉をそのまま受け取って
しまいそうになっているのを、誰かに打ち消して欲しいからかも知れない。
目の前に起きた出来事が、自分の中のコンプレックスや自信のなさ、罪悪感を
刺激したとき人は悪口や文句を言いたくなるのではないだろうかと
思ったのでした。
自分自身をきちんと受け入れられていたなら
自分の考えと違う他人に出会っても過剰反応することなく
「この人はそう思うのだな」と冷静にながめ
自分はそうは思わないな、考えが違うのだなと思うだけで
腹をたてたり、イライラしたりすることはないはず。
したがって、誰かに悪口や文句を聞いてもらう必要はなくなるわけです。
悪口や文句のエネルギー源になっている「過剰反応や攻撃的な気持ち」は、
なんらかの形で自分を守ろうとしている所からくるという風に考えると、
悪口や文句についてちょっと違った見方をすることができるように
なるのではないかと思います。
悪口や文句は、言わない方が良いのかもしれない。
でも、悪口や文句がそんな心の弱い部分を防御しようとしている行為なら
ただ我慢するのは、ちょっと自分が可哀想な気がするなと
私は思うのです。
ただ我慢するのではなく、どんな気持ちがそれを言わせようとしているのかを
見つめ、自分自身を癒していくことがとても大切なことなのではないかと
思うわけです。
ひとつひとつ自分の心と丁寧に向き合いながら
少しでも健康な心で人と接していくことができるようになれたなら
それはとても素敵なことなのでしょうね。
多くの人にとっての常識だと思います。
悪口や文句を多めに言っている人だって、小さい子供に
「悪口や文句は良いことか悪いことか」と聞かれたら
悪いことと答える人が多いと思います。
では、そうと知っていて人はなんで思わず悪口や文句を言ってしまうんだろう。
そんなことを真剣に考えてみました。
先日、思わず相手の行動や言動について、非難めいたことを言いたい気分になる
出来事に立続けに遭遇しました。
最近は、あまりそういう場面に遭遇していなかったため
不覚にも(笑)私の心は大いに乱れました。
口には出さないものの、心の中には相手を非難する言葉が
次から次から溢れでてきました。
「ああ!誰かにこの気持ちを聞いてほしい!」強くそう思いました。
でも、悪口や文句は言ったところで後できっと自己嫌悪に陥るに違いない
言ってしまったことでもっと嫌な思いをするに違いないと
もうひとりの私が言いました。
その時「それがわかっていて、なんで言いたいって思うんだろう」という疑問が
心の中にあがってきたのですね。
静かに自分の心を観察してみました。
そして、わかったのです。
悪口や文句は、自分を正当化したいときに言いたくなるのだなあって。
「私は間違っていない」って誰かにその気持ちを受け止めてほしくて
言うのだなって。
傷つかないための一種の防御なんですね。きっと。
なんだか粗末に扱われた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「私はそんな風に扱われるほど価値のない人間じゃない」ということを
誰かに認めてほしいからかも知れない。
自分の行動をとがめられた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「私の行動は正しかった」という気持ちを誰かに受け止めとほしいからかも知れない。
人の行動が気に入らない、こんなときに文句を言いたくなるのは
「自分の価値観の方が正しい」と誰かに確認したいからかも知れない。
ひどいことを言われた気がする、こんなときに文句を言いたくなるのは
「もしかして言われた通りなのかも、、」と不本意な言葉をそのまま受け取って
しまいそうになっているのを、誰かに打ち消して欲しいからかも知れない。
目の前に起きた出来事が、自分の中のコンプレックスや自信のなさ、罪悪感を
刺激したとき人は悪口や文句を言いたくなるのではないだろうかと
思ったのでした。
自分自身をきちんと受け入れられていたなら
自分の考えと違う他人に出会っても過剰反応することなく
「この人はそう思うのだな」と冷静にながめ
自分はそうは思わないな、考えが違うのだなと思うだけで
腹をたてたり、イライラしたりすることはないはず。
したがって、誰かに悪口や文句を聞いてもらう必要はなくなるわけです。
悪口や文句のエネルギー源になっている「過剰反応や攻撃的な気持ち」は、
なんらかの形で自分を守ろうとしている所からくるという風に考えると、
悪口や文句についてちょっと違った見方をすることができるように
なるのではないかと思います。
悪口や文句は、言わない方が良いのかもしれない。
でも、悪口や文句がそんな心の弱い部分を防御しようとしている行為なら
ただ我慢するのは、ちょっと自分が可哀想な気がするなと
私は思うのです。
ただ我慢するのではなく、どんな気持ちがそれを言わせようとしているのかを
見つめ、自分自身を癒していくことがとても大切なことなのではないかと
思うわけです。
ひとつひとつ自分の心と丁寧に向き合いながら
少しでも健康な心で人と接していくことができるようになれたなら
それはとても素敵なことなのでしょうね。
スポンサーサイト