人を変えようとすること
2008.03.26.21:00
小学生のМちゃんは、とても頭がよくて勘もいいのに
あまり家での練習してこない子でした。
「ちょっと練習さえすれば」
あっという間にあと2ステップぐらい先にいける子なので
私の中にはいつも「もったいない」という気持ちがありました。
ピアノのおけいこって、なんだかんだ言っても
弾けてなんぼのもん、というところがあると思います。
だから、なんとかもう少し早く先に進ませて「うまく弾けるようになった」という
実感を彼女にもたせたいと思った私は
「あなたには素晴らしい能力がある」
「それをほんの少し磨いただけで、すばらしく伸びることができるから
もうすこしがだけ頑張ってみようよ」と
一生懸命伝えました。
伝えても伝えても効果なし。
素晴らしい点を見つけて、ほめてもほめても
その言葉を彼女に受け取ってもらえません。
ほめた言葉をはじきかえされる感じがしました。
私は考えました。
なんでだろう。なんで受け取ってもらえないんだろう。
なんで、ほめているのに拒絶される感じがするんだろう。
そして、気づきました。
ほめている言葉とは裏腹に
「力があるのに練習しない」ことに対して
心の片隅に無意識だったけれどほんのわずかに責める気持ちがあったことを。
(「もったいない」と思っているということはそういうことですよね)
不器用でできないのだったら仕方ない。
でも、できるのにやってこないのは、ただ怠けているだけと
無意識に心のどこかで思っていたのですね。きっと。
きっとほめているはずの「あなたは素晴らしい」という言葉のあとに
感情的には「のに」がついていた。
だから、いつも受け取り手のМちゃんの心には「あなたは素晴らしいのに(もかかわらず)」と
聞こえていたのかも知れないと思いました。
彼女はそういう微妙なニュアンスに誰よりも敏感な子だったので
きっと彼女は褒められるたび、
なんだか否定されているような気分になっていたのだと思いました。
練習をやってこられないという状態は
「うまくなりたい」というところまで音楽に対する気持ちが育っていないだけ
ということを百も承知のつもりだったのに
彼女があまりに何でもわかる賢い大人びた子だったので
何か錯覚をしてしまったんだと思います。
できないはずないのにって。
どこかに誘導しようと思ってほめる褒め言葉って
決して子供には伝わらない。
どこかに誘導しようと思った時点で、「今のその子」を変えようとしている
すなわち「今のその子」を否定しているということだから伝わらなくて
当たり前なんですよね。。。
頭ではわかっていたつもりだったのに。
ああ、かわいそうなことをしてしまった。
反省した私は、彼女を変えようとするのを一切やめました。
彼女には彼女なりのやり方がある、
そして今の状況が彼女の精一杯なのだと肝に銘じて
レッスン中の自分に対して、彼女を変えようとする言動がないか
厳しく見張りました。
そして本当に素晴らしいと思ったときのみ、心をこめて丁寧にほめました。
そうしたら、どうでしょう!
今までどんなにしても開かなかった彼女の心のシャッターがスーッとあいたのでした。
私のほめ言葉を嬉しそうに聞いて、満足な笑顔をみせてくれました。
そして。。
その時を境に彼女の練習量はどんどん増えていったのでした。
私がどんなに言ってもレッスンの日しか弾いてこなかった彼女が
自分の意志で週に五日も弾いてくるようになったときの
私の衝撃といったら。。
相手に自分の提案を受け入れてほしいと思ったときは
相手を変えようとしてはだめなのですね。
相手に自分の提案を受け入れてほしいと思うなら
まずは相手を理解して、相手を受け入れることが大切。
レッスンにしても、日常生活の中のコミュニケーションにしても
きっと同じことがいえるのでしょうね。
子どもたちとのやりとりの中には、日常生活を円滑にする
さまざまなヒントが隠されているように思います。
あまり家での練習してこない子でした。
「ちょっと練習さえすれば」
あっという間にあと2ステップぐらい先にいける子なので
私の中にはいつも「もったいない」という気持ちがありました。
ピアノのおけいこって、なんだかんだ言っても
弾けてなんぼのもん、というところがあると思います。
だから、なんとかもう少し早く先に進ませて「うまく弾けるようになった」という
実感を彼女にもたせたいと思った私は
「あなたには素晴らしい能力がある」
「それをほんの少し磨いただけで、すばらしく伸びることができるから
もうすこしがだけ頑張ってみようよ」と
一生懸命伝えました。
伝えても伝えても効果なし。
素晴らしい点を見つけて、ほめてもほめても
その言葉を彼女に受け取ってもらえません。
ほめた言葉をはじきかえされる感じがしました。
私は考えました。
なんでだろう。なんで受け取ってもらえないんだろう。
なんで、ほめているのに拒絶される感じがするんだろう。
そして、気づきました。
ほめている言葉とは裏腹に
「力があるのに練習しない」ことに対して
心の片隅に無意識だったけれどほんのわずかに責める気持ちがあったことを。
(「もったいない」と思っているということはそういうことですよね)
不器用でできないのだったら仕方ない。
でも、できるのにやってこないのは、ただ怠けているだけと
無意識に心のどこかで思っていたのですね。きっと。
きっとほめているはずの「あなたは素晴らしい」という言葉のあとに
感情的には「のに」がついていた。
だから、いつも受け取り手のМちゃんの心には「あなたは素晴らしいのに(もかかわらず)」と
聞こえていたのかも知れないと思いました。
彼女はそういう微妙なニュアンスに誰よりも敏感な子だったので
きっと彼女は褒められるたび、
なんだか否定されているような気分になっていたのだと思いました。
練習をやってこられないという状態は
「うまくなりたい」というところまで音楽に対する気持ちが育っていないだけ
ということを百も承知のつもりだったのに
彼女があまりに何でもわかる賢い大人びた子だったので
何か錯覚をしてしまったんだと思います。
できないはずないのにって。
どこかに誘導しようと思ってほめる褒め言葉って
決して子供には伝わらない。
どこかに誘導しようと思った時点で、「今のその子」を変えようとしている
すなわち「今のその子」を否定しているということだから伝わらなくて
当たり前なんですよね。。。
頭ではわかっていたつもりだったのに。
ああ、かわいそうなことをしてしまった。
反省した私は、彼女を変えようとするのを一切やめました。
彼女には彼女なりのやり方がある、
そして今の状況が彼女の精一杯なのだと肝に銘じて
レッスン中の自分に対して、彼女を変えようとする言動がないか
厳しく見張りました。
そして本当に素晴らしいと思ったときのみ、心をこめて丁寧にほめました。
そうしたら、どうでしょう!
今までどんなにしても開かなかった彼女の心のシャッターがスーッとあいたのでした。
私のほめ言葉を嬉しそうに聞いて、満足な笑顔をみせてくれました。
そして。。
その時を境に彼女の練習量はどんどん増えていったのでした。
私がどんなに言ってもレッスンの日しか弾いてこなかった彼女が
自分の意志で週に五日も弾いてくるようになったときの
私の衝撃といったら。。
相手に自分の提案を受け入れてほしいと思ったときは
相手を変えようとしてはだめなのですね。
相手に自分の提案を受け入れてほしいと思うなら
まずは相手を理解して、相手を受け入れることが大切。
レッスンにしても、日常生活の中のコミュニケーションにしても
きっと同じことがいえるのでしょうね。
子どもたちとのやりとりの中には、日常生活を円滑にする
さまざまなヒントが隠されているように思います。
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