fc2ブログ

やらなければならないこと

2008.04.25.10:22

先日、「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の順番を考えなおすことで
ストレスが軽減されたということを書きました。

そして、さらにそのあと考えてみました。

「やらなければならないこと」について。

「やらなければならないこと」って何だろう。

そう考えたとき、はたと気づきました。

「やらなければならないこと」っとて自分が「やらなければいけない」と
義務感をもった瞬間にうまれるものなんだっていうことに。

「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の差は
自分の中の義務感の有無だけなのですね。

「やりたい」とはじめたおけいこ事だって
「ちゃんとやらなくちゃ」と義務感で自分を縛った途端
「やらなければならないこと」に変身する。

恋人時代には「彼にご飯を作ってあげたい」と思って
心を躍らせてお料理をしていたとしても
結婚して「ちゃんと妻らしくご飯を作らなきゃ」と思って
自分を縛った途端、お料理は「やらなければならないこと」に変身する。

まわりからの期待や要求の場合もあるけれど
結構一人で自分を縛って「やらなきゃやらなきゃ」と苦しんでいる場合も
多かったりするような気がします。

自分を縛るのが「義務感」だけならまだいいけれど
そこに「罪悪感」がプラスされると、よりヘビーになると思います。

現在、父の看病には必ず一日おきに誰かがいくことになっています。
母は所沢の実家、しかも駅からわりと不便なところにある家から
新宿の病院に週2日通っていました。

ドアtoドアで一時間半弱。
歳を公表すると怒られるので書くのを控えますが
父が75才なわけですから、母も決して若いという年齢ではないのが
おわかりになると思います。。

はじめは父が一日も早く元気になるように励ましたいといって
張り切って病院に行っていた母。
このころは「行きたい」と思って行っていました。

しかし父の入院から三か月。

父の手が動かず携帯等が一切使えず、病院に電話する以外連絡が
とれない状況だったので、急に行かないと
父が心配するということで
雨の日も雪の日も通い続けていました。

母は家で誰かに泣き言を聞いてもらうこともできず
ストレスがたまっていきました。
(もちろん私も兄も電話をしましたし、顔を見にもいきましたが)

そして、ここへきてすっかりくたびれ果てていたのに
「病院に行きたくない」と言えずにいたようでした。

とにかく機嫌が悪い。

父の病院に「行きたい」が「行かなくてはならない」に
変わってしまっていること
妻として「行かない」ということを口にすることに罪悪感を
感じていることに気付いておらず、とにかく不機嫌。
(よほど苦しかったのでしょう)

とにかくどんな細かい用事も重荷に感じてしまうようで
何かを頼むと苦しそうな顔になってしまうのでした。

私は「ねえ、週二日のうち一日行くのやめたら?」と提案してみました。
「みんなが機嫌がいいほうがいいんだから、疲れているならやめちゃえば?」と。

「でも一日おきにいかないと、洗濯ものが間に合わない」と母。
(父はまだ一人では洗濯ができません)

「じゃあ、シャツをもう少し買えばいいよ」

「そうか。そうよね。そうよね。」

急に肩の荷が降りたらしく、明るい声になる母。

自分から「行きたくない」と言えればよかったのだろうけれど
こういうのって言えないものですよね。
(私ももっと早く気づいてあげればよかった。。)

母は突然元気になって、重荷だと言って嫌がっていた
用事に対して前向きな気持ちになってしまったのでした。

現段階において、何も変わっていないのに
週のうちの一日を「病院に行ってもいいし、行かなくてもいい」と
これから先の予定が変わっただけで、全く世界が変わってしまうって不思議。

でもそういうものかもしれません。

これをヒントに義務感に縛られない方法を考えてみました。
「あれもこれも、やらなきゃ」と思って重荷になった日は
「全部やるのやめちゃおう」とまず思ってみる。

「今日これをやるのをやめたら不都合なことはあるかな」とひとつひとつ
考えてみる。そうすると、やめたらとっても不都合なことって
そんなに沢山はなかったりする。

今日やらなくても不都合のないことと判断されたことは
やってもやらなくてもいいことに分類される。
つまり「やらなければならないこと」の分類からはずされる。

余力があったらやろう~なんて思っていたら
結構楽しくできてしまうこともしばしば。
余力があって、やろうかなと思ったときは、
それは「やりたいこと」の分類になっているってことだから当然といえば
当然ですが。

普通に考えたら、今日やらないとかなり都合が悪いと思ったことに関しても
じゃあ、それをやらなかったら私の人生がだめになるか?ぐらいのことを
考えると、たいていの場合は「そうでもないな」ということになる。
そうすると不要な義務感がはずれて、なんだか楽しい気分になったりする。
結局はやるのだけれど、気分が違うことは重要。

どうせ同じことをやるのなら、ちょっとでも楽しいほうがいいですから。

「今日できることを明日にのばさない」と言う人もいるけれど
私は楽しく暮らすために「今日しなくてもいいことは、今日やらない」
を採用していきたいと思います。笑。
スポンサーサイト



天職

2008.04.15.23:50

私の父は社会福祉の仕事をしています。
75歳でありながら、現役で仕事をしています。

現在は、入院中で仕事場には行けずにおりますが。

父は仕事の内容をあまり語らない人なので、今ひとつどんな仕事なのか
わからずにいたのですが、病院で仕事にかかわる方々とお目にかかったり
しているうちに少しだけ、父の仕事のことがわかってきました。
(今頃。。。笑)

そして、どんなにか父が「障害のある人たちを応援したい」という熱い思いで生きてきたかという
ことが最近になってわかったのでした。

現在、父の身体はずいぶん回復して一人でいろいろなことができるようになりましたが
リハビリ病棟にうつった時点での介護度は最高の5でした。

自分がそんな状態なのに、父は病院の食堂で同じ入院患者の人たちの
世話をせっせと焼いていたことが最近判明しました。

考えてみれば、父が応援したい「障害を持ってしまった人」たちが
病院にはたくさんいて、父の社会福祉の仕事で得た情報を
必要としている人も、たくさんいるわけですが。。

若くして脳梗塞で半身に麻痺が残ってしまい
車の運転ができなくなると悲しんでいる人には
障害があっても運転できるようにする方法を教えてさしあげて。。

入院期間がすぎて、リハビリができないと困っている人には(もともとスポーツをする
方だったので身体を鍛えたいと言っていたそうで)
障害のある人のためのトレーニングの施設を紹介してさしあげて。。

挙句に、脳とリハビリの関係がわかれば
勇気をもてる人もいるはずだ!と言って、
脳とリハビリ、両方について詳しい人をさがして(病院内にいながら、いろいろな人に
聞いていたようです)
自分のところで発行している雑誌に記事を書いてもらおうと準備をはじめる始末。

「今の状況もひとつの経験だから、この経験活かして退院したら
自分のような病気になった人たちを応援していきたい」と
はりきっています。

私たち家族にしてみたら、「ちょっとちょっと、まずはしっかり身体を治してちょうだいね」という
感じではありますが、
どんな状態になっても、どこへ行っても「福祉」のことが頭から離れない父にとって
福祉の仕事は天職なんだろうなと思います。

そういう仕事について、生きてこられ、そしてこれからも
そうやった生きていくであろう父はとっても幸せな人なんだろうなと
思います。

一日も早く社会復帰できることを祈るばかりです。

双子の少年たち

2008.04.05.09:02

先日、生徒がお父さんの転勤で九州に引っ越すことになり
退会していきました。

ブログにも時々登場していた双子の少年たちです。

本当に個性的でのびのびとした魅力的な少年たちだったので
発表会にきてくださった方、生徒のお母様方の中には
彼らのファンがたくさんいました。

彼らが私のところにやってきたのは三年前。
その頃はまだ幼稚園児でした。

二人とも三十分のレッスンで集中力をもたせるのがやっとでした。

そして三年たった今、彼らは毎週山ほど曲を練習してきて
弾きたい曲があまりにたくさんあって
レッスン時間が終わっても帰ろうとしないぐらいの子に成長しました。。

「はい、レッスンは今日はここまで」と私が言っても
それを無視して「これも弾きたい」と言って無理やり弾く。。

「じゃ、それだけだよ」と言ってひとつ聞くと
「これもこれも」と言ってまだ弾こうとする。。
最後にお母さんにピアノから無理やり引きはがされてかえっていく。。笑。

そんな彼らとの最後のレッスンの日
最後にお別れのプレゼントとして「気がすむまで弾いていっていいよ」と言いました。

するとお兄ちゃんのYくんは1時間、弟のRくんは1時間20分
ピアノの前におりました。

そんなに長い間、ピアノの前にいても集中力がおちない、
彼らの成長に感動するばかり。

帰りに二人に「本当に上手になったね。すばらしいね」と言うと
二人とも「うん」と元気よくうなづきました。
上手になったと自分で思えることはすばらしいこと。
本当にうれしくなりました。

個性的な彼らに私はレッスンを通して色々なことを教えてもらいました。

Y君には、ピアノを教えるということの中にある落とし穴に気づかせてもらいました。

Y君は、大人の意図することをとてもよく理解できるかしこい子でした。
だから私がレッスンで「ここは、こうしたら?」ということを実に忠実に守ってくるのでした。

レッスン中も自分の演奏に対して「どこがまずかったかっていうと。。」と言って
説明してくれるようになりました。

しかし、しばらくして私は彼が自分の演奏に対して肯定的な感想を言わないということに
気づきました。
いつも弾き終わったあと「よくなかったところは。。。」という出だし。

そこで気づいた落とし穴。。

毎週「先生が注意をして、生徒はそれを直して弾いて仕上げる」という一見当たり前に見えるこの行為を
重ねるということは、一歩間違えると「自分は不完全である。先生に直されなければ自分の演奏は
完成しない」という想念を生徒に植え付ていることになっているかもしれないということ。

きっとYくんにとって、自分で弾いてきた演奏が手直しなしで完璧になるということは
ありえなかったのでしょう。

そこで反省した私は「君の演奏は、どこもまずくないよ。こうしたらよくなる可能性があるというだけで
まずいことはどこにもない。そして自分の演奏を自分でほめてもかまわないんだよ」と伝えました。

今では、自分の演奏について「よかった」とか「上手だった」とかY君が当たり前のように
言えるようになったことがとてもうれしいです。

どんな小さな生徒の演奏であっても、それがどんなものであったとしても
教え手はそれに敬意を払う必要があるということをY君に再認識させてもらったのでした。

そして、Rくん。
彼はとにかく自由な子です。

書いてある楽譜の高さではないところで弾きたかったり
勝手に曲を変えてきたり。

とにかく私の意図を汲もうとか、ほめられようとかそういうところがない子なので
私の話も、あまり聞いてくれませんでした。

でも彼は気づかせてくれました。

どう思われようという意図のない、思考の入らない彼の音は
本当に柔らかで美しい音だったのです。

彼のこの美しい音をなんとか維持させたいと思った私は
彼にできるだけ「やっていはいけない」ということを言わないことにしました。
彼の場合、何か強く縛ったり、先生の期待にこたえようという思考がはいったら
きっとこの美しい音が損なわれてしまうと思ったので。

自由な彼を眺めながら、ひとつずつ自分に聞きました。
「これは、やってはいけないこと?」

そう聞きながら、さらに気づきました。

やったらいけないことって、結構少ないってことに。

書いてある高さと違うところで弾いたって、そんなにまずくはない。
(高さと音符の関係だけ、きちんと確認してあげればいいだけ)

曲を勝手にかえちゃったって、そんなにまずくはない。
(本当はどういう曲なのかを、あとで教えてあげればいいだけ)

彼といると自分の頭がどのぐらい硬くなっているのかということを
思い知らされるのでした。

たくさんの素敵な思い出とたくさんの気づきを私にくれた少年たち。

いつかまたどこかで会えるといいなと思っています。

ストレス

2008.04.04.00:59

このところ、なんだかどこか私はイライラしていました。

何をどうイライラしているのかわからないのだけれど、心の奥のほうに
ずっとイライラがあってどうやっても消えなくて困っていまいた。

瞑想をしてみてもうまくいかず、休息をとってみてもうまくいかない。

私どうしちゃったの???

その答えが今日みつかりました。

私、知らず知らずの間に「やらなければならないこと」ばっかり優先して
「一番やりたいこと」をずっと後回しにし続けていたんです。

物事には優先順位がある。
まずはやらなくてはいけないことをやる。

っていうのは結構正しそうだけれど、これを続けると
とんでもなくストレスがたまるのだということを思い知りました。
だって、後回しになった「やりたいこと」はできなくなってしまう可能性が
とっても高いのですから。

一月からいろいろなことがあって、本当に用事に追われる毎日でした。
二月に引っ越しも終わって、父の病状が回復してきたあとも
一月二月に先延ばしにしてきたことが
雪崩のようにふっていて、とにかく早くこなさないと!ということが
私を追いかけてくる感じで。

っていうと、毎日がまるで辛かったみたいだけれど
別にそういうわけでもないんです。

掃除だって料理だって嫌いなわけじゃない。
父の病院にいくのだっていやなわけじゃない。
毎日のこまかな用事だって、たいしたことじゃない。

…とくに嫌じゃなかったから、そんなことでストレスがたまるわけないと思って
気付かなかったんだけれど
そういうものを優先している間に
私が自分のために一番やりたいと思っていることが
全くできなくなっていた。
そこに問題がありました。

今日、いつものようにバタバタと家事をして、父の病院に行こうとしたとき
私の中からこんな声がしました。

「ねえ、今日はやりたいことを先にやったら?」

「え???」

そこで、ずっと曲をかきたいと思いながらなかなか手をつけられずにいたことを
思い出しました。

さらに「先に曲をかいて、そのあと病院にいけばいいじゃない」という声が。。

あ、そうか。
それでも何にも問題ない。
なんでそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。

そう思いついたら、なんだか心がおどりました。

二時間ほどピアノの前で曲作りをしたら、心は晴れ晴れ。
「さ、病院にいきましょ」
足取りも軽く病院に向かうことができたのでした。
気づけば、あんなに私の中にしつこく居座っていたイライラも
す~っといなくなっていました。

客観的に聞くと、なんでそんな当たり前のことに気付かないのと
思われる方もいらっしゃるでしょう。
でも、自分のことになってしまうと、結構わからないもんなんです。。

一年前にストレスマネジメントの講座を受けたとき、この内容が
とりあげられました。
「やらなければいけないことを先にやって、やりたいことを
あとにするとストレスになります。やらなければならないことと
やりたいこと、このバランスが大切です」

それを聞いたときの私のストレス度数はあまり高くなかったので
なるほどとは思ったものの、それでも「それはそうよね」と
結構当たり前のことを聞くような気持ちで聞いてました。

そして、同じような気づきを前にもブログで書いたような気がします。

でも、やらなければならないことが山のように押し寄せてきたときって
それを忘れてしまうものなんだっていうことに気付きました。

日々を快適に過ごすためには、自分で自分の機嫌を上手にとっていくことが
大切なのだと思います。
そのためには、ちゃんと自分の心に耳を傾ける習慣をつけ
自分の心の望みを可能な範囲でみたしていくことが
大切なのだなと思いました。

いつもちゃんと、自分の心を見ていること、
これが幸せの基本なのかもしれません。
篠原みな子のCD

Whispers of Fairies

2500円 好評発売中!

FC2カウンター
プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

最近の記事
最近のコメント
カテゴリ
最近のトラックバック
月別アーカイブ
オススメ情報

おそうじ楽々。しかも地球もきれいになっちゃいます。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク