「嫌い」のしくみ
2008.05.23.00:03
私は時々、「世界中の人に嫌われている」ような気分になることがあります。
世界中っていうのは、またスケールが大きいねと笑われたこともあるけれど。
そんなときって、決まって自分で自分のことがすごく嫌いになっている。
そして、そんなときって、自分のまわりの人に対しても
つまらないことで「嫌いだ」って思ったりしている。
逆にみんなに好かれている感じがしているときって、自分で
自分のことが好きなとき。
そんなときは、身の回りの人を素晴らしい人ばっかりだと思っていたりする。
「人からどう思われている感じがするか」と
「自分に対して自分がどんな評価をしているか」と
「他人のことをどう見ているか」って
なんだか連動しているのかも。。。と思い、その理由について
自分で思いをめぐらしてみました。
「う~ん、う~ん」と考えること数日。
人のことを嫌うときは、その嫌だなと思う要素は
自分の中にあるものなのだと聞いたことがあります。
たとえば、仕事場で作業が遅い人に対して「この人いやだ」って思う人は
「作業を速くしなくちゃ。遅いのはいけない」って思って気をつけている人。
「気をつけて」やっているってことは、「スピーディーであるということ」が、その人の
もともとの性質じゃないってこと。
(もともと、速くやることが自然なことだったり、速くしかできない場合は
「気を付けない」と思うから)
ということはつまり、自分の中になんらかの形で「遅い」という要素をもっているということ。
(実際に遅くなくても、他人に「遅い」と言われて「自分は遅いのかも」と
思ってしまっているような場合もこれに含まれると思う)
そしてさらに、自分の中にあるその「遅い」という要素を嫌っていて
できれば自分の中にはその要素は「ない」と思いたいと思っているということ。
、、、、ということは、それはつまり自分の一部をとっても嫌っているっていうことで
それは自分自身を嫌うことにつながる。
え?
人を嫌うことって自分自身を嫌うことだったの??
びっくり。。。
この考え方が、どんなときでも、みんなにあてはまるのかどうかは、わからないけれど
少なくとも私はそうだなって思う。
私は速くしゃべるのは「そうしかできない」自然な姿なので
遅くしゃべる人が全く気にならない。
というより、相手が遅いということに気付かない。笑。
(でも、世の中には、遅くしゃべる人に苛立つ人もいるらしい。)
しかし、私自身、作業は遅いと言われ続けて大きくなったため
作業が遅い人にイライラしてしまうことがあったりする。苦笑。
こんなことを考えていくと、
「誰かを嫌い」って思ったとき「自分を嫌い」な気分になって
さらに「自分が嫌われている」っていう気分になっても
無理ないなあ。。。。という気持ちになったのでした。
誰かに腹をたてたり、誰かの悪口をいったり
誰かを嫌ったりすることって、誰でもあることだと思います。
でも、「嫌い」の仕組みに思いを馳せたとき
自分の中の「嫌い」について、ちょっと新しい見方ができるのではないかなと
思ったりします。
世界中っていうのは、またスケールが大きいねと笑われたこともあるけれど。
そんなときって、決まって自分で自分のことがすごく嫌いになっている。
そして、そんなときって、自分のまわりの人に対しても
つまらないことで「嫌いだ」って思ったりしている。
逆にみんなに好かれている感じがしているときって、自分で
自分のことが好きなとき。
そんなときは、身の回りの人を素晴らしい人ばっかりだと思っていたりする。
「人からどう思われている感じがするか」と
「自分に対して自分がどんな評価をしているか」と
「他人のことをどう見ているか」って
なんだか連動しているのかも。。。と思い、その理由について
自分で思いをめぐらしてみました。
「う~ん、う~ん」と考えること数日。
人のことを嫌うときは、その嫌だなと思う要素は
自分の中にあるものなのだと聞いたことがあります。
たとえば、仕事場で作業が遅い人に対して「この人いやだ」って思う人は
「作業を速くしなくちゃ。遅いのはいけない」って思って気をつけている人。
「気をつけて」やっているってことは、「スピーディーであるということ」が、その人の
もともとの性質じゃないってこと。
(もともと、速くやることが自然なことだったり、速くしかできない場合は
「気を付けない」と思うから)
ということはつまり、自分の中になんらかの形で「遅い」という要素をもっているということ。
(実際に遅くなくても、他人に「遅い」と言われて「自分は遅いのかも」と
思ってしまっているような場合もこれに含まれると思う)
そしてさらに、自分の中にあるその「遅い」という要素を嫌っていて
できれば自分の中にはその要素は「ない」と思いたいと思っているということ。
、、、、ということは、それはつまり自分の一部をとっても嫌っているっていうことで
それは自分自身を嫌うことにつながる。
え?
人を嫌うことって自分自身を嫌うことだったの??
びっくり。。。
この考え方が、どんなときでも、みんなにあてはまるのかどうかは、わからないけれど
少なくとも私はそうだなって思う。
私は速くしゃべるのは「そうしかできない」自然な姿なので
遅くしゃべる人が全く気にならない。
というより、相手が遅いということに気付かない。笑。
(でも、世の中には、遅くしゃべる人に苛立つ人もいるらしい。)
しかし、私自身、作業は遅いと言われ続けて大きくなったため
作業が遅い人にイライラしてしまうことがあったりする。苦笑。
こんなことを考えていくと、
「誰かを嫌い」って思ったとき「自分を嫌い」な気分になって
さらに「自分が嫌われている」っていう気分になっても
無理ないなあ。。。。という気持ちになったのでした。
誰かに腹をたてたり、誰かの悪口をいったり
誰かを嫌ったりすることって、誰でもあることだと思います。
でも、「嫌い」の仕組みに思いを馳せたとき
自分の中の「嫌い」について、ちょっと新しい見方ができるのではないかなと
思ったりします。
スポンサーサイト