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2008-06-26 13:38 | カテゴリ:未分類
先日とある風水の本を読んだら、私のラッキーカラーは白だと書いてありました。

新しい家を住み心地のよいものにしようと意気込んでいる今日この頃だったので
「そっか~。白か~。白いもの買っちゃおうかな」なんて
ひとり盛り上がっておりました。

「思う」には思ったのですが、でも誰にも言っていなかったんです。

なのになのに。

今年のお誕生日に頂いたプレゼントは白いものが本当に多かったんですよ。

まずは、傘。
08-06-21_19-15.jpg


友達のCちゃんからのプレゼント。
前もって、「何が欲しい?」ときかれたので
「スリッパか傘がいいなあ」と答えました。
色は指定していません☆

そして、ルームフレグランスとアクセサリースタンド。
08-06-21_21-56.jpg
08-06-21_22-59.jpg


これは友達三人から。
私は何もリクエストしていません。
この三人のうちの二人はかなり右脳がひらいていて
直観力にすぐれている人たちなんですが
「なんか、みな子さんには白って感じがしたんだ」とのこと☆

そして、スリッパ。

08-06-21_22-40-1.jpg


これも、ちょっと不思議くんなお友達からのプレゼント。
彼はなぜだか私がCちゃんに言った「スリッパか傘が欲しい」という情報を
キャッチしていたのでした。。(誰も言ってないんですけれど)
みな子さんを思い浮かべて何がいいかなって思ったら
「スリッパか傘って思い浮かんだんですよ」とのこと。

もう、びっくり。

さらに、私はこの羊さんのいやしグッズを前から欲しいと思っていたのです。。

たしかに彼は、オーラとか見えちゃうような不思議な人ではありますが
そんなにいっぱい情報がわかってしまうって何なんでしょう。

そして、最後に夫からのプレゼント。
私がほしがっていたMacBook。
08-06-21_22-41.jpg


ま、これは私がほしがっていたし
MacBookの白はポピュラーですから
あんまり不思議ではないけれど。

しかしプレゼントを並べてみたら白があまりに多くてびっくりしちゃったんです。

やっぱり「思い」って、目に見えないけれど情報として
この世界を飛び交っているんだと思います。

すてきなことやすてきなものが集まるように
幸せなことを考えて毎日暮らさなくっちゃっと
改めて思った私でした♪
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2008-06-19 12:44 | カテゴリ:未分類
明日6月20日は、私のお誕生日。
ついに、40歳になります。びっくり。

たぶん、私ぐらいの年齢の人のなかには「(私の)若い頃は、、」という表現を使用する人も
結構いると思うのですが、私にはそれがずっとピンとこなかった。
自分よりも年齢の下の人に「若いころは、こうだったんですか」と聞かれても
「へっ??」という感じ。
だから、もちろん「最近の若い人って」という表現とも縁がありませんでした。

そうです。

つまり私は自分の中では歳をとっていないつもりだったんですね。
若いころって?今も若いよ???
本気でそう思っていたのでした。

ある意味、幸せな私。

しかし40代が目のまえに迫ってきたと思ったら
急に若いグループからはずされてしまうような気持ちになりました。笑。

なんて思ったら、今まで思わなかった
「これをこの歳でやるのはどうか。」とか「これをこの歳ではじめるのはどうか。」という
発想が芽生えてきてしまって。

そんな自分にちょっと動揺。

でも、そう思ってしまった途端にある大切なことに気付きました。
とっても当たり前で、でも大切なこと。

私は今までの人生の中では、今が一番歳をとっているけれど
これからの人生の中では、今が一番若いのだということ。

それに気づいたら、もう二度と今より若くなることはないということが
うまれてはじめて、リアルに感じられて
そうしたら、自分の人生が一度きりで(輪廻があったって、今の自分は今回限りだから)
そして人生の持ち時間が有限であるということを目のまえにはっきりと
突きつけられた気持ちになったのでした。

今、歳を理由にできないことは、一生できないのだわ。
人生は永遠ではないのだから
肉体が元気な間にやりたいことは、みんなやらなくちゃ。
誰かに遠慮したり、言い訳したりしている暇はないんだわ。

そんな思いが湧いてきました。

そうしたら元気もわいてきて。

歳を重ねることに対する怖れは
う~んとピカピカの40代にするぞ~。
という思いに変わっていったのでした。笑。

そういえば、20代前半で占いの人に、よく言われたな。
「あなたの20代は大変だけど、40代はいいわよ~」って。

20代で40代が良いって言われたときは、あまりに遠くてちょっとクラクラしたけれど
その待ちに待ったときが来たんだもんね♪

肉体の手入れと心の手入れを怠ることなく
ますます輝いていけるよう、これからも一日一日をしっかり
生きていきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします♪



2008-06-05 10:43 | カテゴリ:未分類
ある日のこと。

私は、とある集まりに出かけていくべきかどうか悩んでいました。

別にそこに集まる人が好きじゃないとか、その集まりがつまらないとか
そういうことじゃなくて、なんとなくその時は人に会うよりは
一人でのんびりしたいな~っていう気分で。

悩みながら「行こうかな~、どうしようかな~。なんていうかさ~、行きたくない
気分なんだよね~。でも、行きたくない気分っていうのはさ、
理由になんないよねえ。。。」とブツブツ言っていた私に、夫が言いました。

「行きたくない気分っていうのは、立派な理由なんじゃないの?
というより、それ以外の理由はないだろう。
気分以外の理由を不純な動機って言うんだよ」

えええええ?????

思わず笑ってしまいました。

「気分がのらないから行かない」っていうのは、わがままだと思っていた。
だってさ、「気分」だよ??

けれど、静かによ~く考えたら
夫の言うことも、一理あるなと思えてきました。

行きたくないという気分のときに
そこへ無理に行く理由を考えてみたんです。

無理にいく自分を正当化して言うならば
人に不快の思いをさせたくないとか
人をがっかりさせたくないとか
人に迷惑をかけたくないとか。

でも、その理由のさらに深いところには
相手に悪く思われたくないから。
自分勝手だと思われたくないから。
その後の人間関係にひびくかもしれないから。。

なんて理由が隠されている気がするのです。

それはいずれも、相手に「こう思ってほしい」という考えに基づいた思いで
ある意味「不純な動機」と言われても仕方ない内容かもと思えてきたのでした。

私は自分の「気分」は優先されないのが当たり前って
思っていたんだなあ。。
自分の気持ちよりも、どう思われるかのほうが大切だったってことかなあ。。

そこで、はっとしました。

こういうところに、ストレスってうまれるのかも。

自分の気持ちよりも、自分の気持ち以外の理由が
いつも当たり前のように優先されていたら。。。

きっと、自分の心は悲鳴をあげるだろう。
その悲鳴をあげた状態がストレス症状なんじゃないかしら。

実際、私はストレス性の症状が身体にでたことが
何回もある。

でも、この話を何人かにしてみたら
「自分の気分で決めるって、なんかわがままって感じがしちゃうよね」という
コメントがかえってきた。

やっぱり、「気分は理由にならない」とか「気分を優先したら
わがままだとおもわれる」って思っていたのは、私だけじゃないんだなって思いました。

この延長線上の話で、
「自分の気持ちがわからない」って言っている人が、よくいます。
そんなセリフを自分でも言ったことがあります。

しかし、自分で自分の気持ちがわからないなんて
なんだかやっぱり、ちょと変な気がする。

きっとそういう風になる人は自分の気持ちを後回しにする習慣がつきすぎて
「気持ち」が「その他の理由」におしつぶされて、どこに行ったのか
わからなくなってしまっているんだと思う。

日常の生活の中で、いつもいつも「気分」だけを優先して行動したら
うまくいかないこともたくさんでてくると思います。
(今日は気分がのらないので、仕事には行きません。。とか言ったら
くびですね。笑)

でも、本来は行動って「自分の気持ち」で選ぶものだと認識した
その上で、もし気持ちにしたがった場合にあまりに不都合がありそうなときには
少し我慢したり、譲ったり、考慮したりするっていうのが
健康的なのかもしれないと思えてきました。

ストレスを発散するというのも悪くないけれど
ストレスがたまらないのが一番ですから。

2008-06-04 09:20 | カテゴリ:未分類
一月に脳出血で倒れた父は、ずいぶんと回復してまいりまして
おかげ様で、たぶん今月末ぐらいに退院できるんじゃないかなという
ところまでになりました。

今週末には、退院前の「練習」として一泊だけ一時帰宅をする予定です。

その準備として、先日実家ではトイレや玄関やお風呂場に
手すりの取り付け工事が行われました。

父は先月はじめにも二泊三日で一時帰宅しましたが
そのときは、手すりがなかったのと、まだ
今ほどリハビリが進んでいなかったので大騒ぎでした。

病院では介助する看護婦さんがなれているけれど
自宅では介助に不慣れな私たちが身の回りの世話を
することになり、トイレに行くのも顔を洗うのも二人がかりで
サポート。

正直、母も私も兄も(たぶん父も)くたくたになりました。

けれど、この帰宅によって、父も家族みんなも
あとどのぐらい回復すれば家で暮らせるかという
ことがわかってきました。

もともとリハビリには誰よりも熱心だった父ですが
この一時帰宅を境にもっともっとリハビリに力が入るようになった気がします。

先週の日曜は、朝から晩まで一人で
お箸を持つ練習をしていたらしく、一日でなんとか物がつかめるように
なったそうです。

通常、脳出血や脳梗塞で半身が麻痺になった場合、みんな麻痺していない手を使って
生活をしてしまうことが多く、リハビリに積極的になれないことが
多いらしいです。

この理由が父といっしょにいてわかったのですが、
麻痺になってしまった体の部分って、動かそうとすると
とっても痛いらしいのです。

動かないし、痛いしで、負けてしまうことが多いらしい。

しかし、うちの父の場合はもともと右手が不自由なところに左半身麻痺になってしまったので
痛かろうがなんだろうが、やるしかないのでした。

「動くようにならないかも」なんて、言っていられる余裕はない。
とにかく動くようにしないと。

、、、逃げ場のない状況。。

そんな中で、父はそれをむしろ強みに変えて
リハビリに取り組んでいるように見えました。

食事のあとは、こぼれたご飯粒をひとつずつつまんで、トレーに戻す練習。
家族が来た時は、字の練習や携帯操作の練習。
車いすやベッドには、握力や指の力を回復するグッズが取り付けられていて
時間をみては、それで練習。

リハビリの先生も、はじめは全く動かなかった手で(お医者さんが動くようにはならないと
言っていた手で)
今はご飯が食べられ、歯が磨けて、携帯メールもなんとか見られて
字も少し書けるようになって、まだ実用的なところまでいかないまでも
お箸まで使えるようになった父に驚いていました。

条件が悪いのは手だけではありません。
普通だったら、元気になってきたら、車いすの操作をしたり、杖をもって歩いたりして
移動できるところですが、父はまだ握力が戻っていないので
車いすを自力で動かすことができず
もちろん杖を持って身体を支えて歩くこともできませんから
今のところ一人で一切移動できません。

だから、とにかくつかまらなくても歩けるようになろうと
必死で足の訓練に励んでいます。
階段ものぼれるようにと、早くから麻痺しているほうの足だけで体重をささえる練習を
していたようです。

いつもリハビリが終わったあとは、かわいそうなぐらいクタクタになっていましたが
それでも負けない。
一時帰宅する当日「今日はリハビリをしなくてもいいですよ」と言われても
「いつもと同じようにやります」と言って練習をしていました。

ある日の昼食の時間。
リハビリを終えた父が先生とともに
食堂に歩いてもどってきたときのこと。

先に昼食をとっていたリハビリ病棟の入院患者の方々の手が止まって
みんなの視線が父に集まりました。

父の歩行の進歩にみんな驚いた顔。

私は、なんとも言えない誇らしい気持ちになりました。

なんだか父がとても格好よく思えました。

父の姿は
どんな時でも、人は自分の人生を生きていくしかない。
自分の人生に起きたことが良くても悪くても、それを受け入れて生きていくしかない。

でも、ただただ前を向いて歩き続けていれば、
ちゃんと光はさしてくる。

そんなことを教えてくれているように思えました。

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