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価値観について

2008.08.28.21:50

私は、運を味方にする方法とか幸せになるための方法とか
そういうことが書いてある本がわりと好きでよく読みます。

なんでかって、楽しい気持ちになるからです。

私は、とにかく本もドラマもその世界にひたったとたん
自分がその主人公になってしまうほど入り込みやすい性格。
共感しすぎるので、悲しすぎるドラマを見ると数日なんだか悲しいのが
ぬけなかったりして。

だから意識的に楽しいものを見て、楽しい気持ちになるものを読むと
決めているのです。

さて、そんな幸せ本に「幸せになるために必要なこと」としてよく書かれているのが
「どんなときも良い言葉をつかいましょう」ということ。

ネガティブな言葉は口にしないこと。
口にしたことが現実を作るので注意すること。

なるほど~ということで
実際、篠原家では極力ネガティブな会話はさけられています。

やってみると確かにその方が毎日楽しいし、良いことだって起きる気がする。

これはいい!!

叶うといいなと思って口にしたことが現実になる経験を重ねるうち
このことは、「こうすると楽しい」というレベルを超えて
いつしか私の中の「絶対的価値観」となっていきました。

。。。気づかぬうちに、です。

絶対的な価値観になってしまうと
ネガティブな言葉を極端に嫌うようになってしまうのですね。

ネガティブな言葉をあまりにたくさん使う人に会ったとき
「あらら。。」と思ってしまったり
心の中でたしなめてしまったことも無かったと言ったら
嘘になるなと思います。

そして、最近その無意識に握った絶対的価値観に自分が苦しめられることに
なったのでした。

父を含め、家族みんながギリギリのところでなんとかふんばって
いろいろなことをきりぬけている今、気をつけても気をつけても
気づけば以前よりポジティブさの減っている私。

もちろん習慣化しているから、そんなにあからさまに
文句を言ったりしないけれど、
心も身体も燃料切れの日もあり
なんとなくいつもいつも気分のいい話ばかりをするという
わけにはいかなくなっていたのでした。

そうしている間に、気づけば私は自分のことがとっても
嫌いになっていました。

はじめは理由がわかりませんでした。
なんだか自分に対してどんどんわき上がってくる嫌悪感に
動揺するばかり。

そして、しばらくして気づいたのでした。

「ネガティブなことを言ってはいけない」という絶対的価値観に
自分が責め立てられていることに。

はじめは「よい言葉をつかうほうが良いことがあるらしい」という話だったのに
いつの間にか「ネガティブな話は悪である」になっていたんですね。

どんなに良いと思える価値観でも、強く握りすぎると
その反対が悪になってしまう。
そうすると、そうでない他人やそうでない自分をせめてしまう。

楽しい毎日のためにと思って得た価値観に
自分が苦しめられるなんて、びっくりですね。

どんなに良さそうに見える価値観でも、あまりにそれを強く握りしめると
自分や他人を裁いてしまうことになり、最終的には自分が苦しめられるという
落とし穴。笑。

何事もバランスが必要ということなんでしょうね。。

できればお気に入りの価値観も「ま、そういう感じが私は好きかな」
ぐらいの楽な握り方ができたら、生きていくのが楽になるかもしれないと
思った私でした。


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我慢

2008.08.21.00:24

ひさびさのブログ更新です。

七月末の父の退院後、みんながその生活になれるまでに
いろいろなことがありました。

退院時、ずいぶん動けるようになったとは言っても
まだ自分一人でできることはほとんど無かった父。

退院の二日後に様子を見に実家にいくと
そこには疲れ果てた父と母がおりました。

父にとっては、看護師さんのいない自宅は
とにかく自分でやらねばならないことばかりで
くたびれて仕方ないようでした。
しかもリハビリ中の腕が痛くて夜眠れない。

母にとっては、昼間はありとあらゆる父の世話をし、
自分のことは全くできず
夜は腕が痛いと父に何度も起こされる生活は
本当に気が遠くなるほどのもの。

。。そして先が全く見えない。
家の中にはものすごい重苦しい空気が流れておりまして。。。

これは、なんとかしなくちゃ!と力強く思いました。

まずは、母のストレスを解消しなければ!ということで
その翌日、一日私が実家で父の世話&お掃除をして
留守番をするので母は一日好きに遊んできてよいということにしました。

朝、げっそりしていた母は一日おしゃれをして出かけてきただけで
夕方にはピカピカに元気になって帰ってきました。

やっぱりどんなときだって「楽しいこと」をして心に栄養を与えることは大切。
遊んでいる場合じゃないようなときこそ、遊ぶことが必要なのですね。

元気になって戻ってきた母に
今後、家事の手伝いをどこかの業者さんに頼むことを提案。
さらに週に一度は私が一日留守番をして、母は一日好きにすることを提案してみました。

そして、とにかく、こんなときに遊んだらいけないのではないかと
父や私や兄に遠慮するのはやめて、こんなときだからこそ
家のことはできるだけ怠けて、
おおいに楽しいことをして元気をだすことにしようと提案しました。

そして父。

あんなに陽気だった父が、すっかり笑わなくなり
ずっと痛みに耐えている姿は見る方にとっても辛いものでした。

そこで週に三回の訪問リハビリと週に二回の入浴の合間をぬって
週に三回私がつきそって鍼灸院に通うことにしました。

それから鍼で痛みをとりながらの父のリハビリ生活がはじまりました。
とにかく一日も早く自立したいと、必死の父。

自分が元気になりたいという気持ちももちろんあるけれど
どこかその必死さには苦しいものがありました。
なかなか状況が変化しないと落ち込んだり。
(落ち込んだり弱音をはいたりしたことのない父だったので
私としてはびっくり)

そこで父に訪ねてみました。
「みんなに迷惑をかけちゃいけないと思って
早く元気にならないとと思ってるでしょう?」と。

「まあねえ。。」と父。

さらに「でも早くなんでもできるようにならないと!と思うと
日々の小さな進歩が進歩に思えなくて
辛いでしょう?」と。

「そうなんだよねぇ」と父。

私はそこで、気づいたのでした。

母に言った「遊びのすすめ」は、私としては母を元気にするための対策
だったのですが、それは父を元気にするところにも
おおいにつながっているのだということに。

父の世話をしているみんなが「辛い思い」で日々を過ごしていると
「迷惑がかかっている」という気持ちが強くなって
父は早く元気にならないとみんなに悪いと思ってしまうのですね。

だから父が父のペースで回復できるためには、世話をしているみんなが
「辛い毎日」ではなく「楽しい毎日」を過ごしている必要がある。

だから、私もまた母と同じようにできるだけ楽しい時間をもつ必要が
あるのだということがわかったのでした。

それからは私も意識的に楽しい場所にどんどん参加するようにしてみました。
日々たくさん楽しいことをしてたくさん笑う。
そうすると父のところに行ったとき、無理なく笑顔になることができました。

父の退院から一ヶ月。

父は鍼治療の効果がでてきて、腕の痛みで夜中、目を覚ますこともなくなり
食欲もでてきて、ずいぶん元気になってきました。

歩く足取りもしっかりして、階段の上り下りのスムーズにできるようになってきました。
手も前よりずっと動くようになってきて
一人でできることも増えてきました。

そしてなんと言っても、よく笑うようになりました。

父が元気になるのにつれて、母も明るさをとりもどしてきました。
そして母はまわりに遠慮せずに、楽しい予定をいれるようになり
やはり笑顔が増えました。

みんなが少しずつ生活に明るさをとりもどしていったのでした。

「大変なときはみんなで少しずつ我慢して乗り越える」というのをよく聞きます。
多分それも間違っていないと思います。
でも「できるだけみんなが我慢しなくてよい方法をみつけていく」というのも
大切なことなんだとわかりました。

だって我慢していると、その分を補ってもらいたくて相手に期待してしまうから。
(父の身の回りのことを我慢してやると早くなおってくれることを父に期待してしまうというように)

そして、時間は命だから。
命である時間を我慢で満たしてしまうのはもったいない。

どんなときだってそこに希望や喜びを見いだして生きていくことが
大切に生きていくということだと私は思う。

たくさんの経験を気付きに変えて、これからも日々をすごしていきたいと思います。

こんな時代だからこそ

2008.08.05.23:40

私にはお会いしたことはないけれど
ただずっとお手紙を交換しているおばあちゃまがいます。

そのおばあちゃまTさんから先日お手紙が届きました。
その手紙におまけでかわいいシールが入っていて
それを見たら私の心がほんのりと温かくなりました。

Image002.jpg

そのおばあちゃま、Tさんとは調律師さんの紹介で今から6、7年前に
知り合いました。
そのころTさんは80歳ぐらいと聞いていましたが、
ピアノを習い始め、おけいこの曲のほかに自分の好きな童謡を
家で弾きたくて、その楽譜を書いてくれる人を探していらしたそうで。
それを相談された調律師さんが私のところに話をもってきてくださったのでした。

私にとって初めての「楽譜を書く」お仕事でした。

Tさんとは事情があってお会いすることもできず
お電話することもできず
とにかく郵便のみでコンタクトをとるということになっておりました。

何かひとつ質問があっても、郵便で質問。
お返事を待って、作業を進める。。

とにかくのんびりのんびり話が進むのでした。

はじめは電話をかけられたらなあ~と思ったりしましたが
よく考えたら今の時代にひとつひとつのやりとりを
季節の挨拶とともに郵便でやりとりするなんて経験は
したくてもなかなかできないんですよね。

やりとりの途中で、私はこの経験の貴重さに気づきました。

Tさんは「手紙の時代」の方だけあって
本当に毎回すてきなお手紙をくださいました。
美しい季節の挨拶。そして古き良き日本語の言い回しが
たくさん織り込まれた文章。

季節感のあるきれいな和紙のはがきや便せん。

達筆な文字。

Tさんのお手紙には手紙ならではの温かさや風情があり
それがどんなに受け取る側の心を和ませ潤わせてくれるかということに
私は気づかせて頂いたのでした。

注文の楽譜の郵送がおわってもう何年もたつのに
不思議とTさんとの交流はゆるやかに続いています。

ときどき、美味しいお菓子やTさんのお気に入りグッズとともに
あのすてきなお手紙が届きます。

私も、ふとした時にお店で見つけたTさん好みの小物や自分のお気に入りに
手紙をつけて送らせていただいたりしています。

届きましたよ~というお礼はもちろん
お互いに手紙です。

このゆったりとしたやりとりでしか味わえない
温かさや幸福感を味わうとき
日頃、スピードと合理性を重視して見落としている何かに
気づくのでした。

Tさんとのやりとり、これからも長く続くといいなあと思っています。


もうすぐ半年

2008.08.02.00:03

中村橋に引っ越してきて、もうすぐ半年になります。

やっと新しい家にも新しい街にもなれてきました。

中村橋は商店街の栄えている活気のある街。
スーパーもあるのですが、とにかく商店街が元気です。

おいしいケーキ屋さんとか、おいしいレストランとか
新鮮でおいしい野菜を売っているお店とか
お気に入りのお店が少しずつみつかってきました。

商店街のお店のいいところは、店員さんがフレンドリーなところ。

先日、うちから一番ちかい八百屋さん(のような小さいスーパーのような
お店)に行ったときのこと。

私はその日、ゴーヤーと油揚げと豚肉を使った
豆腐の入らないゴーヤーチャンプルのようなもの
(母から教わったレシピできちんとしたレシピ名はわからないのです)
を作るつもりで材料をそろえようと
そのお店にでかけていきました。

「あの~。油揚げありますか?」と聞くと
お店のおばさんは、「あるわよ、あるわよ。ほら!」
元気に棚を指差しました。
…が、指差した先には何もない。。

「あら~売れちゃったんだわ」とおばさん。

「あ、そうですか」と帰ろうとすると
おばさんが私をよびとめました。

「なに作るの?」

「え??」

「何を作るつもりなの??」

「ゴーヤーチャンプルみたいな、、、、」と言いかけると

「ああ、じゃあ、この厚揚げにしなさいよ。
ね、ゴーヤーチャンプルならこれがいい。
これの方がいいじゃないの。絹豆腐がはいってるの。
おいしいわよ。ね。」

「は、はあ。。。。」

ここまで言われたら、断ることもできず
おばさんに勢いよく言われたら、厚揚げでもおいしい気がしてきたので
すすめられるままに厚揚げを買ってかえることにしました。

すると。。

その厚揚げ。
とってもおいしかったんです。

いつもの料理に厚揚げをいれたら
「今日のおかずはおいしいね~!」と夫にも大好評。

おばさん、ありがとう♪

「油揚げありますか?」に対して品切れのとき
「申し訳ございません。あいにく品切れになっております。」っていう
丁寧な接客も悪くないけれど
「何作るの?」っていう接客も結構いいなと思いました。笑。

中村橋の街がどんどん好きになりつつある私なのでした。

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プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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