何にフォーカスするか。
2008.09.28.23:35
私は結婚したころから、とにかく起きたことを
「ついている」と思うようにしています。
もともと夫が持っていた習慣で、私もまねしたのですが。
うちの夫は私がしょぼくれていても慰めません。
慰めたら「悪いことがおきたことになっちゃう」からだそうで。
どんなことでも、良いことにつながっている「ついてる」出来事と
信じているのですね。
その意思の強さったら相当なもので。。
私が結婚式の一ヶ月半ぐらいまえに、表参道の駅の階段の
一番上から前をむいたまま落ちたときのこと。
エンゲージリングに傷をつけて、足を打撲
顔だって打っているのに、一言も慰めませんでした。笑。
駅まで迎えにきてくれて、足が痛くて曲がらず
階段をおりられないと言ったらおんぶしてくれましたけど。
そんな強固な意思をもった人と結婚した私は
すっかりとそれが移り、その考え方が定着しました。
それが、今年のできごとを乗り切るのにどれだけ役にたったか
わかりません。
父が倒れて、もう手足がうごかなくなりますと言われた日の晩
私は布団のなかで思いました。
「でも、命がなくならなくてついてた。そして言葉を失うことが
なくてついてた。」って。
だから神様に言いました。
「父の命をとりあげないでくださってありがとうございます。
そして言葉を奪わないでくださってありがとうございます」って。
そうお祈りしたら、その翌日、父の手足が動くことがわかったのでした。
私、ずいぶん強くなったし、前向きにとらえることが
できるようになったと思っていたら、
なんと父のほうがずっと上手でした。
だって、よその人に自分の体験を話しているときに
「戦争のとき、汽車にのっていたら機銃掃射がやってきて
右手を撃たれたんですけれど
ちょうどその汽車に医学生がのっていて
止血が上手だったんで命をとりとめたんです。
ついてるなと思います。今回も会社で倒れたので、
すぐに病院に運んでもらえてついてます。
自宅だったら病院に運ばれるまでにもっと時間がかかったと
思うので。」って笑顔で言うんですから。
どっちも命がけの話なのに、ついてるって。。。
そこまで言えるっていうのは、どれだけの前向きさなんでしょう。。
さて、そんな父と病院でのリハビリ生活の間、
今回どんなについていたか
「ついていたこと」を数えてみました。
倒れたのが祖母のお葬式の後で「ついてた」。
祖母に心配かけずにすんだ。
私が時間の自由のきく仕事になった今、倒れたのは
本当に「ついてた」。
時間に職場にいく仕事でもっともっと忙しかった時期も
あったから、そのときだったら、今みたいに父の力になれなかった。
倒れたのが、兄が地方に転勤しているときではなく東京にいるときで
本当に「ついてた」。
倒れたのが私の手の痛い時期で本当に「ついてた」。
だって心おきなく父の世話ができるもの。
父が社会福祉の仕事をしていた関係で
リハビリの先生はもともとよく知っている方が多いというのも
「ついてた」。
…なんて話していたら、
私は、な~んだ!今年ってすっごいついてる年なんだ!という
気持ちになってしまいました。
だって、こんなについている状況で、動かないと言われた身体が
動いているんだもの。
今だかつて、神様がこんなに応援してくれた年があるかしら!
そう思ったらすごく元気になってしまいました。
私の昔の口癖は、「私、かわいそう」だったんです。笑。
よくないことをよく数えあげていたっけ。
そんな私だったら今年は乗り切れなかったな。(って、まだ終わってないけど)
ついてるって思うだけで、現実が輝いてみえる。
それだけで元気がでて、前に進んでいくことができる。
いつもプラスにフォーカスする習慣って
大切だなってしみじみ実感しています。
ついている父は、とうとうパソコンを再開。
メールをだすところまで回復しました。
スキップができるぐらい(笑)元気になるまで
しっかり応援するつもりです。
「ついている」と思うようにしています。
もともと夫が持っていた習慣で、私もまねしたのですが。
うちの夫は私がしょぼくれていても慰めません。
慰めたら「悪いことがおきたことになっちゃう」からだそうで。
どんなことでも、良いことにつながっている「ついてる」出来事と
信じているのですね。
その意思の強さったら相当なもので。。
私が結婚式の一ヶ月半ぐらいまえに、表参道の駅の階段の
一番上から前をむいたまま落ちたときのこと。
エンゲージリングに傷をつけて、足を打撲
顔だって打っているのに、一言も慰めませんでした。笑。
駅まで迎えにきてくれて、足が痛くて曲がらず
階段をおりられないと言ったらおんぶしてくれましたけど。
そんな強固な意思をもった人と結婚した私は
すっかりとそれが移り、その考え方が定着しました。
それが、今年のできごとを乗り切るのにどれだけ役にたったか
わかりません。
父が倒れて、もう手足がうごかなくなりますと言われた日の晩
私は布団のなかで思いました。
「でも、命がなくならなくてついてた。そして言葉を失うことが
なくてついてた。」って。
だから神様に言いました。
「父の命をとりあげないでくださってありがとうございます。
そして言葉を奪わないでくださってありがとうございます」って。
そうお祈りしたら、その翌日、父の手足が動くことがわかったのでした。
私、ずいぶん強くなったし、前向きにとらえることが
できるようになったと思っていたら、
なんと父のほうがずっと上手でした。
だって、よその人に自分の体験を話しているときに
「戦争のとき、汽車にのっていたら機銃掃射がやってきて
右手を撃たれたんですけれど
ちょうどその汽車に医学生がのっていて
止血が上手だったんで命をとりとめたんです。
ついてるなと思います。今回も会社で倒れたので、
すぐに病院に運んでもらえてついてます。
自宅だったら病院に運ばれるまでにもっと時間がかかったと
思うので。」って笑顔で言うんですから。
どっちも命がけの話なのに、ついてるって。。。
そこまで言えるっていうのは、どれだけの前向きさなんでしょう。。
さて、そんな父と病院でのリハビリ生活の間、
今回どんなについていたか
「ついていたこと」を数えてみました。
倒れたのが祖母のお葬式の後で「ついてた」。
祖母に心配かけずにすんだ。
私が時間の自由のきく仕事になった今、倒れたのは
本当に「ついてた」。
時間に職場にいく仕事でもっともっと忙しかった時期も
あったから、そのときだったら、今みたいに父の力になれなかった。
倒れたのが、兄が地方に転勤しているときではなく東京にいるときで
本当に「ついてた」。
倒れたのが私の手の痛い時期で本当に「ついてた」。
だって心おきなく父の世話ができるもの。
父が社会福祉の仕事をしていた関係で
リハビリの先生はもともとよく知っている方が多いというのも
「ついてた」。
…なんて話していたら、
私は、な~んだ!今年ってすっごいついてる年なんだ!という
気持ちになってしまいました。
だって、こんなについている状況で、動かないと言われた身体が
動いているんだもの。
今だかつて、神様がこんなに応援してくれた年があるかしら!
そう思ったらすごく元気になってしまいました。
私の昔の口癖は、「私、かわいそう」だったんです。笑。
よくないことをよく数えあげていたっけ。
そんな私だったら今年は乗り切れなかったな。(って、まだ終わってないけど)
ついてるって思うだけで、現実が輝いてみえる。
それだけで元気がでて、前に進んでいくことができる。
いつもプラスにフォーカスする習慣って
大切だなってしみじみ実感しています。
ついている父は、とうとうパソコンを再開。
メールをだすところまで回復しました。
スキップができるぐらい(笑)元気になるまで
しっかり応援するつもりです。
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