自分をあきらめない
2008.10.25.03:04
先日、私の手が故障しているという話を書きました。
その後、フォーム矯正をしてくださる先生、鍼の先生、メンタルケアを
してくださる先生などの手をかり、順調に回復してきています。
今まで何度も手を故障してきました。
いつも為す術もなく、手を休めて回復をまつだけでしたが
今回は、幸運にも素晴らしいサポートをしてくださる方に次々
出会うことができ問題は解決に向かっています。
現在、なぜそんなに何度も手を故障したのかという
根本的な理由を解明し
解決にむけて、身体についての知識を深め
フォームの見直しをしています。
たぶん、この後はもう同じような故障はしないで
すむようになると思います。
そして、演奏の質も向上していくと思います。
以前、手を故障したとき、自分より音楽的にも技術的にも
知識があると思われる方々に助けを求めたところ
「それは、あなたの指が弱いから仕方ない」とか
「あなたは肉体がつよくないので演奏家には向かない」という
言葉を頂きました。
その言葉を私はそのままそっくり受け入れて
自分の手が故障したのは
私の身体が弱いせいで、手を痛めないような曲を選んで
弾いていくしかないと思い込んできました。
しかし、今回のことでそれは間違いであるということが
わかりました。
私の身体が故障したのは、身体的理由と心理的理由によるもの。
心と身体の関係も含む、身体についての知識がなかったことに
よるもの。
これが、わかったとき、私に「あなたの身体が弱いから」と
言った方々の顔がうかび
ちょっとくやしい気持ちになりました。
でも。
そのあとすぐに気づきました。
どんなにすごいと思われる人の言葉でも
どんなに偉いと思われる人の言葉でも
「受け取らない」という選択もできたのだということに。
「あなたには演奏活動は無理である」というのは
それを言った人の知識と経験の範囲で「無理だと思う」
と言っただけ。
それは絶対的なものではない。
相手の言葉を鵜呑みにして、自分の可能性をあきらめようと
したのは私自身。
どんなときだって、誰に何を言われたって
自分が自分の可能性を信じることをやめなければ
必ず道は開ける。
もしも誰かの言葉で、自分のやりたいことをあきらめたなら
それは、その言葉を言った人のせいではなくて
自分をあきらめた自分のせいなのですね。
今回の故障はあまりにひどくて、そのまま回復を待つという
だけではいつピアノが弾けるかわからないという状態でした。
そこで、自分の肉体についてもっと学んで解決していこうと
はじめて能動的な行動にでたわけですが
そうしてみたら、ちゃんとサポートしてくださる方に出会え
ちゃんと道が開けました。
私にとって今回のことは、とても痛い経験ではありましたが
音楽的にも精神的にも本当にたくさんの学びが
ありました。
前にセラピストの方から聞いた大好きな言葉。
自分の前に立ちふさがった扉の鍵がかたければ
かたいほど、それが開いたときに待っているギフトは大きい。
本当にそうなのかもしれません。
しっかりと手をなおして、しっかりと心を育てて
皆さんの前にもう一度たてるようしっかりと
進んでいこうと思います。
その後、フォーム矯正をしてくださる先生、鍼の先生、メンタルケアを
してくださる先生などの手をかり、順調に回復してきています。
今まで何度も手を故障してきました。
いつも為す術もなく、手を休めて回復をまつだけでしたが
今回は、幸運にも素晴らしいサポートをしてくださる方に次々
出会うことができ問題は解決に向かっています。
現在、なぜそんなに何度も手を故障したのかという
根本的な理由を解明し
解決にむけて、身体についての知識を深め
フォームの見直しをしています。
たぶん、この後はもう同じような故障はしないで
すむようになると思います。
そして、演奏の質も向上していくと思います。
以前、手を故障したとき、自分より音楽的にも技術的にも
知識があると思われる方々に助けを求めたところ
「それは、あなたの指が弱いから仕方ない」とか
「あなたは肉体がつよくないので演奏家には向かない」という
言葉を頂きました。
その言葉を私はそのままそっくり受け入れて
自分の手が故障したのは
私の身体が弱いせいで、手を痛めないような曲を選んで
弾いていくしかないと思い込んできました。
しかし、今回のことでそれは間違いであるということが
わかりました。
私の身体が故障したのは、身体的理由と心理的理由によるもの。
心と身体の関係も含む、身体についての知識がなかったことに
よるもの。
これが、わかったとき、私に「あなたの身体が弱いから」と
言った方々の顔がうかび
ちょっとくやしい気持ちになりました。
でも。
そのあとすぐに気づきました。
どんなにすごいと思われる人の言葉でも
どんなに偉いと思われる人の言葉でも
「受け取らない」という選択もできたのだということに。
「あなたには演奏活動は無理である」というのは
それを言った人の知識と経験の範囲で「無理だと思う」
と言っただけ。
それは絶対的なものではない。
相手の言葉を鵜呑みにして、自分の可能性をあきらめようと
したのは私自身。
どんなときだって、誰に何を言われたって
自分が自分の可能性を信じることをやめなければ
必ず道は開ける。
もしも誰かの言葉で、自分のやりたいことをあきらめたなら
それは、その言葉を言った人のせいではなくて
自分をあきらめた自分のせいなのですね。
今回の故障はあまりにひどくて、そのまま回復を待つという
だけではいつピアノが弾けるかわからないという状態でした。
そこで、自分の肉体についてもっと学んで解決していこうと
はじめて能動的な行動にでたわけですが
そうしてみたら、ちゃんとサポートしてくださる方に出会え
ちゃんと道が開けました。
私にとって今回のことは、とても痛い経験ではありましたが
音楽的にも精神的にも本当にたくさんの学びが
ありました。
前にセラピストの方から聞いた大好きな言葉。
自分の前に立ちふさがった扉の鍵がかたければ
かたいほど、それが開いたときに待っているギフトは大きい。
本当にそうなのかもしれません。
しっかりと手をなおして、しっかりと心を育てて
皆さんの前にもう一度たてるようしっかりと
進んでいこうと思います。
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