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2009-11-28 15:38 | カテゴリ:未分類
昨年傷めた手が、少しずつなおってきて、まだ完治とまではいかないけれど
随分ピアノが弾けるようになってきました。

手を治したいと思って、いろいろ模索しているうちに
随分たくさんの発見をしました。

はじめは手が問題だと思っていたら、実はそれは身体全体の使い方に
問題があったということがわかりました。
手や指が無理なく機能するためには、骨盤を含む下半身を
安定させ、上半身の筋肉を「腕を動かすことに貢献できる状態」にする必要が
ありました。(身体が不安定だと、本来腕を動かすのに貢献すべき
筋肉が身体を支える方に使われてしまい、腕や手に余計な負荷がかかります)
そして、腕自体も自由になってはじめて、身体に負荷のない形で
指というものは動くものだということを知りました。

誰でも身体の使い方には癖があり
身体の中で日常的に緊張してしまっている部分があるというのも
珍しい話ではないのですが、私の場合、緊張の度合いが激しかったのと
ストイックすぎて身体の信号に気づくのが遅かったのと
筋肉や関節が平均値より柔らかかったために
大きな故障というかたちで現れてしまったようです。

さて、ここで気づいたのは「ストイックすぎたこと」「緊張が激しかったこと」は
身体の問題とつながるけれど、実は心の問題だということ。

身体のケアをしながら私は今度は心についてのケアをはじめました。

NLPのセッションを受けて、ピアノと自分との関係について見直しをしました。
さらに心と身体の本を何冊も読んでみました。

そうして、心が解きほぐされるうち、いつの間にか少しずつ
指がよくなっていくということに
気づきました。

そして、同時に身体のケアも続けていくと、それによって
自分の中の不要な感情(怒りの感情とか
罪悪感みたいなもの)が、どんどん溶けてなくなっていくことに
気づきました。
それも、今までの人生でどうやっても手放せなかったような
古く強固な感情が、です。

人間の問題というのは、心と身体、両側面からケアすることが
どんなに大切であるか(しかも効果的)ということを知りました。

ひとつの側面へのアプローチでは解決できないようなことも
両側面からアプローチすることで、相乗効果をまねき
よい方向にながれていくものなのですね。

さて、心の問題について本を読んでみて思ったことは
一言に心の問題についての本と言っても、切り口はいろいろだと
いうこと。

私が読んだものを大きくざっくりと二つにわけると
「心をトレーニングするもの」と「心を癒すもの」がありました。
(ある意味「両側面」ですね。)

自己啓発の本やメンタルトレーニングの本には
ものの考え方のポイントなどが示されており、読むとなるほどそんな風に
心をトレーニングしてコントロールできたら幸せな未来は間違いないなという
気持ちになります。

しかし。やってみると結構それができないことが多いということに気づきました。
「どんなときも感謝の気持ちを持って」とか
「相手の話をよく聞いて気持ちを理解して」とか
「いつもプラスのことを考え、口にして」とかとか。。

もちろんやればできます。そしてやれる範囲ではやっています。
しかし、できなくて落ち込んでしまうこともある。
しかも、やってみたけれど、情緒は思ったより安定しないこともある。

なぜ?

そんなときに、今度は「心を癒す」本を読んでみました。
癒すというのは、自分の心の病んでいる部分に光をあて
それを受け入れケアしていくというものです。

「ライフヒーリング」(ルイーズ・L・ヘイ著)の
中のワークはとても有効でした。

自分の心の痛んでいるところをにどんなケアをしたらいいのかが
しっかりと書いてあったので、中のワークを順番にやっただけでも
大きな変化がありました。

人間、長い年月(?)生きてくると、意識的にせよ
無意識にせよ、いろいろな心の傷を負って
それを防御したいがための心の癖を身につけていくようです。
そして、その癖が、自分の人生の邪魔をすることもある
ということのようです。

いわゆる「心をトレーニングする」本に書いてある
「よさそうなこと」を実行しようにも
今ひとつうまく行かないときは、心の奥底にある自分自身の心の問題に
光をあてていくことが大切なんだということを
知りました。

心は目に見えないもの。
そして意識しないとわからないときもある。

だから時々、自分の心に耳を傾けて、
「癒す」「鍛える」を両方バランスよく行っていくことが
きっと大切なのでしょうね。

両側面という点からもう少し考えていくと
心の問題の中の一つ、「許す」というようなことでさえそうなんだなと
思いました。
「怒り」をかかえて「許せない」と思うと幸せになれないと
書いてある本はたくさんあります。
でも「許す」前に自分の「怒り」をしっかりと受け止めて味わう必要が
ある場合もあります。
全部相手のせいだと思って、怒り続けていても
確かに幸せにはなれない。
でも「怒り」を抑圧する癖のある人が「怒り」を感じる前に
「許し」を無理に行うと
無意識に自分に刃を向けてしまう結果となることがある。
(「ライフヒーリング」の本には、一回だけ、心の中で怒り全開に相手に
仕返しをするというワークがあり、そのあと許すという過程にはいっていきます)
どちらの側面もよくみていくことが本当に重要ですね。

その考え方は身体においてもあてはまるのでは思います。
身体をととのえるために、解剖学的な知識を得ることも大切。
しかし、理屈を横において、自分の身体を何のジャッジもなく
感じることも大切。
(知識を意識しすぎて、力んでしまったり、不自然な動きで余計身体が
痛くなるということはよくある話です)

さらに生活においてもそう。
時間を合理的に使って生産的な活動をすることも大切。
だけれども、しっかりと身体を休めて
快適にすごせるための配慮をすることは、「生産的な活動」をするのと
同じぐらい大切なこと。
そして、心の栄養となる「なにもしない空白の時間」もとてもとても大切。

何か問題を解決したい、、とか、何かを改善したいと思ったときは
自分の行動と心の癖をよく認識した上で、
その改善したい問題の両方の側面、さらには改善(解決)方法の
両側面(または複数の側面)をよくみていうことが、
大切なのではないだろうかということを
しみじみ考える今日このごろ。

そうやって、少しずつ自分にアプローチすること4ヶ月。
少しずつ自分のことを知り、ケアをしていくうち、
世の中の見え方やものの考え方が随分変わってきました。

身体の痛みは、私の多くの気づきをもたらしてくれています。


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2009-11-04 00:30 | カテゴリ:レッスン
発表会がおわって二週間の間に、保護者の方や見に来てくださった方から
感想を頂きました。

最近よく頂く感想としては「生徒がみんなすごく楽しそうに弾いている」というもの。

確かに私もステージを見ていて、なんだかみんな楽しそうだなぁと思います。

これっていつからなんだろう。振り返ってみるときっかけがあることに
気づきました。

何年か前から生徒に「私のアドバイスを断ってもいい」と伝えるようにしたのです。
レッスンでは、とりあえず私の経験から「こうしたらきれいになるかな」という
アドバイスをしているだけなので、それが好みに合わなかったら
断ってくれていいと。
私の言うとおりにあなたが弾くのは意味がないので(ならば私が弾けばいいことに
なってしまうので)私の言うとおりに弾く必要はないと。

キャリアの浅い頃は怖くてできなかったことでしたが、
思い切ってやってみたら、みんなレッスンで自分の考えを
バンバン言うようになってきました。

「こうしたらどうかな」と言うと
「そうじゃなくて、こうしたいの」という返事が返ってくることしばしば。

発表会の曲も「これはどう?」と聞くと「それは私に似合わないので
もっとこんな曲がいい」とかそんな返事がかえってくる。

宿題も「これは飽きてきたからもう仕上げたい」とかいう申告なんかも
当たり前。

自分が決めたことをみんなに黙ってやってもらっていた頃のほうが
私の仕事は楽だったけれど、
ちゃんと意見を交換できるようになってからのほうが
レッスンが楽しくなりました。

自分の考えが取り入れてもらえるとわかると、生徒たちがよくしゃべるように
なりました。
(ピアノの先生をしている友達がレッスン見学にきたとき
子供たちがあまりにしゃべるので、びっくりしていました)

そして、音楽に対して自由な発想をもつようになって
こんなふうに弾きたいというアイディアもでやすくなりました。

もうかれこれ十年以上前から、生徒にどうしたいかということを
聞くようにしていましたが、みんななかなかしゃべってくれず
何年もどうしたら自発的にレッスンにとりくみ
自分らしく演奏してくれるんだろうと悩みました。

今考えれば、形ばかり「どうしたいの?」なんて聞いてみても
みんな「結局は先生の言う通りに弾くことになる」と
思っていたから、何も言ってくれなかったのだなあと思います。

その頃はてっきり音楽を表現する力がついていないんだと思っていました。苦笑。

生徒側が「断る権利」をもつだけで、こんなに状況が変わるものなんだなと
びっくりします。

「先生のおっしゃることをよくきいて」という昔からあるお稽古の考え方は
自発的に自分の表現をみつけられるようにするには
時として邪魔になるようです。

生徒側に断る権利がなかった頃は、私は生徒たちにとって
服従しなければならない「偉い人」でした。

その頃は、生徒はいくら上手くなっても今ほどには自信をもつことはありません
でした。弾いても弾いても「先生がすごい。それに比べて私は上手くない」という
雰囲気になることが多々ありました。

なんで?こんなにみんなをほめているのに?と
悩んだものでした。

でも当たり前ですよね。私の言う通りに弾くことを目的として弾いていた
彼女(彼)たちにとっては、どんなにそれが上手くなっていても
「先生の要求に答えた」にすぎなかったのですね。
上手になったという実感を持てるはずがない。
私の注意の通りに弾いて、きっと嬉しかったのは私だけだったのでしょう。
(お恥ずかしい限りですが)

「断る権利」を持つようになってからは、生徒たちにとって私は
以前より「偉い人」ではなくなりましたが(笑)、
彼女(彼)たちは、自分の演奏に誇りを持つようになりました。

お稽古ごとは、その伝える内容ももちろん大切ですが
それ以上に教え手と習い手の人間関係がどのようになっているかが
とてもとても重要であるということを実感する今日このごろです。

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