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2010.04.23.23:26

満月の夜に月を見ながら私はよく思います。

夜空のむこうには光の国があって、あの丸い月は
夜空にあいた丸い穴なんじゃないかって。
光の国の光があまりに強くて、もれてきているんじゃないかって。
(それに同意してくれる人はほとんどいないけど。笑)

そんな光景をレッスン中に心の中に見ました。

それは小学三年生のHちゃんのレッスンでのこと。
彼女は、基本「直される」と元気がなくなるタイプの子。

まあ、誰でもそういう面はあるのでしょうが
彼女の場合「直された」と思うと、みるみるやる気を失うので
「教え魔」の私は、いつもできるだけ「直さない」ように
レッスンを運ぶよう細心の注意をはらっています。

それでも彼女はまだ技術的なことが安定していないので
どうしても直さなければならない時があります。
私の中で起こる葛藤。

う~ん。どうしていこう?

、、と悩んでいたある日
なぜだか演奏する彼女の左手の小指が、曲の終わり3音だけ(笑)
とても美しい動きをしていました。

他の指は結構クタクタしていて、音もしょぽっとしていたのですが
そこだけピカ~ンと格好いい手の動き。
音ももちろんばっちり。

「おお!!Hちゃん、なんて左の5の指(小指)の音が
きれいなの!手の格好もすてき!!!!」と
私が興奮気味に言うと、Hちゃんの顔がほころびます。

「すっごくいいから、もう一回やってみせて!」
というと、さらによくなります。

「すっごくすてきだから、その調子で音を切る時
ふんわりとってごらん。きっとできるから」と言うと
今度は音の切り方も美しくなり、演奏はさらにとても美しいものに。

「じゃあさ、そのきれいな音ときれいな動きを
その隣の指にもおしえてごらんよ」と言うと
隣もよくなり、それを他の指、他の指、、と広げていくうち
きづけば曲全部がとってもきれいに弾けるように
なっていたのでした。

とにかく「直す」のではなく、「良い」のを伝染させる
作戦なので、彼女の先生は自分の指であるため
先生に直されるということは起きません。

美しい変化があったときに私にほめられるだけなので
どんどんテンションがあがっていきます。

嬉しそうにお母さんの顔を見たりして。。

そうやってレッスンしたのが一週間前のこと。

そして、、、今日。
なんと、、、宿題を弾き始めると
先週褒めちぎった左手の指が全部未だかつてないほどに
美しい動きをしていました。

そして、今だかつてないほどによく練習もしていました。

そばで見ていたお母さんもビックリするほどの成長ぶり。

お世辞ではなく、良い点を的確にほめることは
直すのの何十倍ものパワーがあるんだと実感しました。

直す方がはやいと思うのは錯覚なんだよなあ。。

この話がなんで月の話と関係するかというと
先週のレッスンでの彼女の
「左手の小指の音と動きがきれいだったこと」は
彼女の内側一杯にある能力(光)が外側にピカンと
もれてきた瞬間だったのではないかと思ったのです。

うまく弾けないときは、真っ暗な夜空の状態。
でも時々ピカンと中の能力が外にもれてくる。

そのときに、闇を消そうとするのではなく光にエネルギーを
注ぐことで光は拡大し、やがて闇が光に飲み込まれていく、、
そんな映像を私は心の中にみたのでした。

ほんの一瞬でも、、ほんの一音でも、、
よい瞬間を見逃さないことが、本当に大切。そしてその一瞬の光に
エネルギーを注ぎこむことが本当に大切。

そして何より、それぞれの子の中には光があふれているのだと
信じることが一番大切。。

それを信じるためには、自分の中にも光があふれていると
信じることが大切なのでしょうね。

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花咲か婆さん

2010.04.21.00:28

今日、実家に帰ったら母が嬉しそうに
「ベランダのお花、見て見て!!」と駆け寄ってきました。

実家に住んでいた頃は、ひそかに母を「花使い」と私は呼んでいました。
そう。花を咲かせるのがとっても上手。
花に水をやるときも、毎日毎日花と話をしていて
ときどき
「この花、ずっと咲かなかったのに咲き始めたから、いいことあるわよ」とか
占いめいたことを言ったりもしていました。
(結構、よくあたってびっくり。)

最近は「私、花咲か婆さんなの」と自分で言っていて
その名の通りベランダに見事にたくさんの花を咲かせておりました♪

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いろんな色のフリージア。

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色とりどりのお花♪

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Image022.jpg

ベランダだけではなく、お部屋の中ではセントポーリアがいっぱい咲いています。

いつもいつも「あら。きれいに咲いたわね。いい子ね。可愛いわね」などと
一つ一つの花と会話しながら水やりをしている
母の「花咲か婆さん」ぶりを見ていると、やっぱりお花はちゃんと意識があって
人間の注ぐ愛情に反応しているんだろうなって思います。


楽しい一日

2010.04.17.22:19

気のせいかもしれないけれど、自分の心の中が整っているときって
物事の流れがすごくいい感じがします。

入ったお店が美味しかったり、会った人が親切だったり。。
今日はまさにそんな一日でした。

今日は朝起きたときから、なんだか自分の中がさっぱりとしていて
心も身体も軽く、朝弱い私にしては珍しく
朝から元気一杯。

仕事が休みの夫もなぜか今日は早起き。

意味もなくいい気分だったので、フルーツパーティーしましょっと言いながら
大皿にでこぽんやら、いちごやら、キウイやらを一杯のせて
二人でもりもり食べました。

朝から果物をたくさん食べたら、なんだかとってもさわやかな気分。

今日はお昼から、大好きな東京大神宮
http://www.tokyodaijingu.or.jp/
に、夫の厄よけに行こうということになっていたので
ご祈祷の時間を聞くために電話をかけました。

すると今日は東京大神宮の例祭の日であることが判明。
http://www.tokyodaijingu.or.jp/saiten/saiten_04/index.html

例祭は年間の行事で一番大事なお祭りだそうで
会社の創立記念日みたいなもののようです。

「そんな日に厄よけに行くなんて、なんかいい気がする~。
今日は神社にきっと特別なパワーが満ちているに違いない!」
と私がうかれていたら
夫が「お祭り行っちゃう?」と言い出しました。

お祭りは11時から一時間。
お祭り行っちゃう?と言う話がでたのは10:20。

私はお化粧もせず部屋着でうろうろしていたので
間に合うかな~と思ったのですが大急ぎで支度をして
東京大神宮へ。

なんとか到着は11:40頃で間にあいました。
、、、が、特に何か目立ったお祭り風な感じはありませんでした。
でも、境内で赤福とお茶を配っていて
なんとなく普段とは違う、華やかな感じがありました。

朝は空はグレーだったのに、赤福を食べるころは
青空が広がっていました。

さらに、ちょうど結婚式をあげた花嫁さんがでてきて
ものすごい幸せオーラをあびることが(笑)できました。

厄よけのご祈祷まで時間があったので
近くのお店をみてまわり、近くの「うお座」という
お店に入りました。
http://gourmet.suntory.co.jp
/shop/0335118731/

夫はここで豚肉の炭火焼の定食を、私は海鮮丼の定食を食べましたが
どっちもものすごく美味しい!

朝からテンションのあがっていた二人はますますテンションUP。

ご飯を食べ終わってからもまだご祈祷まで時間があったので
また大神宮界隈をうろうろしていると
「ひば工房」というお店をみつけました。
http://www18.ocn.ne.jp/~hiba/access.htm

気分にまかせてお店をどんどんみつけながら歩き回る自分に
「ぶらり途中下車の旅みたいだわ~」と思いつつ
お店の中へ。

中はひばの木で出来た製品がずらり。木の香りがよく
お店の中にいるだけで和んでしまいました。

店内に、以前から欲しいと思っていたミニまな板を発見。
ひばの木のまな板は漂白とかしなくても
菌が繁殖したりしないそうで
しかも長持ちで、とってもいいらしいです。

お値段もお手頃ということで購入。
母にも買っていってあげようと二つ購入したら
お店の人がいろいろとサービスをしてくれました。

お店の奥さんは、まな板を見る私に「木は生きているからね、
まな板に“うちに来てくれる?”って聞いて、行くっていったのを
買ってね」と言いました。

ひばの木に対するそういう気持ちを聞いて、なんだか心温まってしまいました。
売る方の商品への愛着ってなんだかいいですよね。

お店をでるとちょうどご祈祷の時間。

東京大神宮の厄よけは、巫女さんの舞もあってとても楽しいんですよ。

そしてご祈祷のあとは、私のお気に入りのお店、神楽坂の「紀の善」へ。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13000478/dtlrvwlst/

ここは抹茶ババロアで有名ですよね。

いつもは混んでいてとっても待つのに、今日は絶好調だったので
行ったらすぐに入ることができました。

ここでまたまた美味しいものを頂いて、さらに神楽坂をぶらぶら。

そこから夫と別行動で私はアレクサンダーテクニークにのレッスンへ。
レッスンはいつだって最高に楽しいので
帰り道の足取りは軽く、ご機嫌で家に帰ると。。。。。

先日、ブログに書いたMちゃんのコンクールの
http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-300.html

全国大会出場の案内が。。

全国大会は、全ての地方大会がおわったあと
上位何%かの参加者に出場権が与えられるという仕組みらしいです。

同点で金銀銅が複数でることも多く、その人数が多いと
金銀銅の人のみが全国大会にでることになりますが
逆に人数が少ないと金銀銅賞の次の優秀賞の中の
上位の人が出場できるというシステムらしいです。
Mちゃんは銅賞に限りなく点数の近かった優秀賞だったので
案内を頂くこととなったようです。

まあ、今はアメリカにいるので出場は難しいのでしょうが
Mちゃん喜ぶだろうなと思ったら、なんだかとっても嬉しい気持ちになりました。

なんと調子のいい一日だったんでしょう。笑。

よく幸運を引き寄せるためにはどうするか。。みたいな
ことを書いてある本に
「自分の波動にあったものを人はひきよせる、、」というようなことを
書いてあるけれど、やっぱりそうなのかなと思いました。

自分がご機嫌だといいことが次々に起きていく。
するとますますご機嫌になっていき、
物事はさらにどんどん良くなっていく。

やっぱり自分の調子をちゃんと整えることが、楽しい毎日を送るのに
一番大切なのかも~と実感した一日でした☆

「頑張る」と「頑張らない」

2010.04.16.00:14

昔、レッスンにきた生徒の一人が言いました。

「昔はよく学校なんかでも頑張れって言われたのに、最近は頑張るなって
言われる。一体どうしたらいいんでしょう」

なるほど。
確かに昔は「頑張る」のが流行っていたけれど、最近は
「頑張らない」のが流行っている気がします。
(流行なのかどうかわかりませんけれど)

このとき、私は
「頑張りたいときは頑張ればいい、頑張るの疲れちゃったって
思ったら頑張るのをやめればいいんじゃないの」と返事をしたのですが
(返事になってる??)
私自身も「頑張る」のと「頑張らなくてよい」のとの
せめぎ合いにあうことがあるなあと思いました。

それから「頑張る」について考えていたのですが
最近「そっか~」という答えにたどり着きました。

たぶん一生懸命やるっていうことを「頑張る」っていうことが
多いのだと思うのですが
この「頑張る」には二種類あるんだなと気づきました。

悲壮感が漂う「頑張る」と悲壮感の漂わない「頑張る」

そうやってスポーツ選手などを
この人はどっちだろうと思って観察していくと
一つの真実が見えてきました。

悲壮感が漂う人は苦しそうに何かに耐えている。
耐えることを頑張っているかのように。

悲壮感の漂わない人は、苦しい状況にあっても
何をすべきかがわかっているので
どこか冷静であり、耐えている風がない。

みんな「頑張っている」のだろうけれど
この差は大きい。

ここまでわかっても、なんというかまだすっきりしないと
思っているときに、アレクサンダーテクニークの先生との会話で
答えを頂きました。

身体を整えていくと、今まで演奏をするときに
我慢したり、耐えたりしながら頑張っていたことが
全く不要になってしまうというということが起きてきます。

我慢しないで、もっと早く身体のことを調べたり改善したりする
努力をすればよかった!と心から思います。

何を頭も使わずに我慢していたんだろう。

そこで私は気づきました。
私はもしかして「大変なことに耐えること」で
「頑張った気分」になっていたのではないかと。

「辛さに耐える」=「頑張った」(努力した)になっていた?

でもこのフレーズよくありますよね?
辛さに耐えて頑張りました。。。みたいなの。

なんか辛いのを乗り越えるとすっごく頑張ったみたいな感じになる。。

それって私だけでしょうか?

その話をアレクサンダーテクニークの先生にしたら
「辛いのに耐えて、頑張った気分になるというのはよくありますが
耐えなくていいようにするには、どうしたらいいかということを
きちんと考えていくのが本当の努力ですよね」とお返事がかえってきました。

全くそのとおり。

辛いのに耐える=頑張るというのは
頑張ることを頑張っているだけで、自分を痛めつける行為に他ならないのですよね。

正しい頑張り(努力)は、
改善したい状況に対して、それをなんとかすべく
建設的な働きかけをすることですよね。

言葉にするとあたりまえのことですが、頑張りの罠にしらずに
はまることってある気がします。
ない人もいると思いますが。

何かに耐えなくてよい状況、望む状況へと向かうための建設的
働きかけの頑張り(努力)は
悲壮感を当然ともなわない。

自分に無理な負荷をかけすぎたりしない。
(だって自分を楽にするための働きかけという前提があるから)

そういうときって、きっと端からみると
すっごく頑張っているように見える(夢中になっているように
見えるという方が正確かもしれない)のだけれど
本人は頑張っていると思っていなんじゃないかしら。

思っていても「私、頑張ってる、、フフフ」っていう
楽しい感じに違いありません。

実際、私は今、自分に負荷をかけないよう身体のことを学ぶために
あちこちレッスンに行ったり、本を読んだり忙しくしていますが
楽しくて仕方ないのでまさに「私頑張ってる、フフフ」の状態なのです。

こう考えるようになってから、頑張ると頑張らないのせめぎ合いはなくなりました。

頑張っているけど、頑張っていないからです。

そして昔はよくわからなかった
楽しみながら努力するというのも納得できるようになりました。

この発見(大げさ?)で私の心は随分楽になりました♪

コンクール

2010.04.07.01:00

昨年の今頃、小学校2年生のMちゃんが言いました。

「昨日ね、私、コンクールで優勝する夢をみたの。だからねコンクールに
出てみたい。コンクールで優勝して有名になって、嵐の桜井君に会うんだ」

びっくりでした。

うちの教室でコンクールに出た子もいなければ
Mちゃんの知り合いでコンクールに出た子もいないのに
突然、こんなことを言うのですから。

私の教室の方針は
それぞれの子が人との比較に気をとられることなく
純粋に音楽を心から楽しめるようにしていくこと。
先生に依存することなく
それぞれが「自分はどんな演奏がしたいのか」を考えられるようにすること。

そう考えるがゆえに、コンクールへの参加はすすめたことが
ありませんでした。
小さい子供を比較の中にさらすことをに私自身
抵抗があったからです。

しかし。Mちゃんがあまりに熱心にコンクールを希望するので
「本人の夢をかなえるのが私の仕事」ということで
参加の応援をすることにしました。

それでも、比較にさらされることで、人の反応をうかがってピアノを弾く
ようになりはしないだろうか。
今までのレッスンと矛盾しているとMちゃんは悩まないだろうか。

私は内心少し心配しました。

けれど、そんな心配は無用でした。

子供は大人が思うよりずっと繊細だけれど、大人が思うよりも
ずっとたくましさも持っているのだと知りました。

Mちゃんが受けたコンクールは予選、本選、関東大会を通ると全国大会に参加という
システムになっておりました。
結果、彼女は関東大会までいけたのですが(関東大会が3/27でした)
彼女はそこまでの道のりで、私の予想をはるかに超える勢いで
成長していきました。

技術も心も、です。

ゆっくりしか動かなかった指は素早く動くようになり
かよわい音しかでなかった昔がうそのように
大ホールで鳴り響く豊かな音をだせるようになりました。

リズムのわずかな乱れにも気づけるようになり
曲の中に物語を見いだすこともできるようになりました。

そして何よりも、自分がどうしたいかをはっきりと考え
それを表現できるようになったのです。

コンクール前には、対策レッスンのようなものがあり
はじめてお会いする先生にみて頂くこともありました。

その先生からのアドバイスが私と異なったとき
「一体、誰の言う通りに弾けばいいの?」と彼女は言いました。
「いつものように誰の言う通りでもなく、
自分が一番好きなように弾いたらいいのよ」と
私は答えました。
「わかった」と彼女は笑顔でこたえました。

彼女はこの経験で、はじめて
演奏にはいくつかの可能性の選択肢があって
演奏する人はそれを選ぶことができるということの
本当の意味をはっきり知ったのでした。

本選でのこと。
三人の先生からの講評を頂いたところ、その点数は10点ほどの
開きがありました。
Mちゃんもお母様もびっくりしていました。
「なんでこんなに違うの?」とMちゃん。

先生によって「何を大切に考えるか」「何を素敵だと思うか」が
違うからだと私は答えました。

では、次の関東大会では、どうしたらいいんだろう、、、
という疑問をMちゃんは抱きました。
私は「当日の審査員の先生が何を大切に思って、何を素敵だと思うかなんて
誰にもわからないこと。だから、審査員にあわせて弾くなんて
できない。できるのは自分が一番いいと思った演奏をすることだけ。
もし誰かにあわせて弾けたとしても、自分の気持ちとあってなければ
素敵な演奏にはならないと思う。」と伝えました。

いつも私はレッスンでみんなに言うことにしています。
「私の言う通りに弾いても、他の先生のところへ言ったら
だめって言われるかもしれません。私のアドバイスは
こうしたら、もっときれいに聴こえるかもしれないなという
程度のものです。あなたにとって
どんな演奏がよいのかという答えを私がもっていると思わないで
ください。あなたの演奏の答えは、あなたの中にしかありません」と。

彼女はコンクールを通して、このことの本当の意味を理解したのでした。

私は比較にさらさないことでしか、比較にとらわれず
自分らしく演奏することを学ばせることはできないと
思っていました。

しかし、今回のことで敢えて「比較にさらす」ことで、むしろ
比較にとらわれないことや、自分らしく演奏することを
学べることもあるということを知りました。

Mちゃんは関東大会では銅賞まであと数点
もしかしたら全国大会にいける可能性もあるかも、、、という
好成績をおさめました。

Mちゃんはご機嫌で「ね、全国大会に出られることになったら出てもいいでしょ?」と
お母様に言いました。

そのよこでお母様は苦笑い。。
それもそのはず、Mちゃんはコンクールの三日後にお父様の転勤でアメリカに
引っ越すことになっていたから。笑。

「もし連絡がきたら先生知らせてね」と笑顔で言って
Mちゃんはアメリカに発っていきました。

今頃はMちゃんはアメリカの空の下です。

お母様から、あちらで電子ピアノを購入したとメールがありました。
アメリカでもMちゃんはピアノのお稽古を続けるそうです。

桜三昧

2010.04.05.00:32

週末は、桜三昧♪

土曜日は、夫と二人で自転車に乗って近所の桜めぐりをしました。
最近、夫の仕事が忙しくて一緒にでかけられることが少ないので
貴重な一日ということで、朝から私は大いにはりきっておりました♪

朝10時半ごろ家を出発。

練馬春日町の駅前の桜並木を通って
大江戸線の光が丘駅へ。

光が丘駅のそばで見た桜。駅近辺が立体交差のような感じになっているので
桜の下に道路が見えます。

Image006.jpg


そのまま光が丘公園へ。
Image007.jpg

公園の桜をちょっとアップで撮ってみました。
青空に桜が映えてきれい。


Image009.jpg


この写真は携帯の待ち受けにしました。

Image010.jpg

光が丘公園の出店でお昼ご飯を食べた後、
公園のまわりの桜並木を通って、豊島園へ。

ユナイテッドシネマ豊島園で映画を見たあと
さくら祭で入園料無料になっている豊島園へ。

Image012.jpg

豊島園の桜を楽しんだあと、さらに自転車を飛ばして
今度は西武線の練馬高野台駅のそばの桜並木へ。

着いたときはもう夕暮れ。

Image015.jpg

さすがに、へとへと。
近くで夕飯を食べて、家に帰ったらすぐに寝てしまいました。

そして日曜日。朝起きたら、自転車のこぎ過ぎで身体が筋肉痛になっていました。笑。

日曜日は、用事で武蔵野線の吉川にでかけました。

用事の合間にまたまた桜見物。

Image016.jpg

あんまりうまく撮れなかったのですが、終わりが見えないほど
長く長く桜の木が続いていました。

武蔵野線は車窓から桜並木が見えるポイントがたくさんあって
びっくりしました。

日本って桜が多いなあってあらためて思うほど♪

春を思い切り満喫した週末でした☆




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Whispers of Fairies

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プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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おそうじ楽々。しかも地球もきれいになっちゃいます。

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