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心温まるもの

2011.02.23.12:17

先週の土曜日、すごく悩み落ち込むことがありました。

「なんで~~~~???どうしたらいいの~~?」と
部屋で絶叫しては
しょぼん、、。。。

しかし、何日もそんなことはしておられず、
日曜の朝は、なんとか心の整理をつけて
気をとりなおし、普通の顔で用事にでかけました。

夕方帰ってくると、テーブルに可愛い花が飾ってありました。
お花のそばには、今年の我が家の賀状に登場したウサギの
ぬいぐるみが二匹。

Image150.jpg


その横で夫がニコニコして「おかえり~」
と言いました。

さんざん悩んでいた私を見ていて、
何か楽しい気分になるものと思って買ってきて
くれたのかな?とちょっと温かい気持ちになりました。

彼は、そんなことを説明する人ではないので
わかりませんけれど、何の記念日でもないのに
お花を買ってくることはあまりないので。

「がんばれ」でもなく「おつかれさま」でもなく
なんの言葉も持たずに
ただそこにあって、私の心をほんわかと温かくして
くれたお花と夫の笑顔。

私もそんな風に誰かの気持ちに寄り添える
音楽が奏でたいなあと思いました。

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心の声

2011.02.21.11:52

昨年末から、自分にとっての快適さをとても大切に生活するように
なりました。

http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-349.html

我慢をすることが習慣化していた私は
はじめのうち、よく考えないと「どちらが自分の本当の望みだろう」と
いうことがわかりませんでした。(びっくりです)

しかし、続けていくうちに自分の身体が「yes」と「no」を
知らせてくれていることに気づきました。

私の心が本当に望む選択のときは身体がウキウキ軽くなり
私の心が本当は望んでいない選択のときは
身体がど~んと思く憂鬱になります。

思考が「こうした方が後々いいんじゃないの?」と
ささやいても、身体に聞けば間違いなし。笑。

さて、このセンサーに耳を傾け行動すること数ヶ月。
びっくりするのは、本当に色々なタイミングが
あうようになったことです。

頭で考えると、その行動はどうなんだろうと思うような
ことでも、その通りにすると
まるで先のことを知っていたかのように
後でつじつまがあう。
(思考で、先のことを計算していたときよりも
あうのです)

たとえば、何かイベントに誘われたとき
普段なら行きたいのになぜか気分がのらない。。。というような
ことがありました。

特に用事はないけれど、どうしても身体が重くなるので
思いきって断ってみました。

すると。。
そのイベントの日、私は風邪をひいたのでした。
断った御陰で迷惑をかけることなくすみました。

もちろん、いつもいつもという訳ではありませんが
でもこういうことが圧倒的に増えたのです。

「今」の自分は「未来のこと」を知っているの?と
思ってしまうほどです。

そうやって自分の気持ちを大切にしていくと
今まで見過ごしていた
「ふと思ったこと」なんかも大切にできるようになってきました。

そして、この「ふと思ったこと」も結構すごいのです。

ふと予定を変えようと思ったとき
面倒でもそれに従ってみたら
あとで、「あれ?私は先のことを知っていたんだろうか?」と
思うほどに都合よくすべてのことがうまく流れることが
あったりします。

発表会の会場とりのときもそうです。
http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-362.html

実は年明けすぐに近所のホールをとろうと思っていました。
でもなぜか身体が重い。

全く行動を起こす気がしない。
行けば、すぐに予約できるのに、身体からはドヨ~ンとした
重さが伝わるばかり。

そのうちそのホールは埋まってしまい、とれなくなり
「どうするつもり?私」と思いつつも動けず、、。

しかしある日、何の前触れもなく
突然ふと「ホールをとろう!」という
考えがあがってきました。

頭に浮かんだホールは都内の人気のホール。
はじめに思ったホールよりずっときれいで
いいホールです。
その上、立地条件もこちらのほうがいい。

しかし、抽選は激戦です。
とるの無理じゃないかなあ。。と思いつつも
ホームページを見て見ました。

、、、すると抽選日が二日後であることが判明。
その抽選にでかけるのに、いろいろハードルがあったのですが
それはみるみる解決していきました。
(ハードルを越えるためにも行動を起こすのが「二日前」である
必要がありました。「前日」ではダメだったので
このタイミングもすごいなあと思います)

抽選にでかけたら激戦の中、抽選番号は1番をひき希望日ゲット。。

な~るほど~~、こういう展開になっちゃうわけか、、。と
驚きました。

ふと「今!」と思ったタイミングに動くのも
大事なんだなと思いました。

ますます自分の心が信頼できるような気持ちになり、
自分の心のままに動くことが気に入って
それを楽しく実行していた私。

最近とある出来事にぶつかりました。

ある人からお願いごとをされたのです。
それは私にとっては、気持ちの重くなるものだったので
自分の心に従って無理だとお断りしました。

でも相手はひきません。

ちょっとぐらい我慢すればできるでしょう?と言うのです。

その人にとっては「ちょっと」の我慢でできそうなそれは
私にとっては、「ものすごい我慢」をしないといけないことでした。

その我慢が「ちょっと」なのか、「すごく」なのかって
人によってものすごく違うのだということに驚きました。

そして人は自分にできる我慢は相手にとっても
たいしたことではないと思うものなのですよね。

しかしそれを体験することで、ハッとしてしまったんです。

大人って子供によく、こういうことしているんじゃないかなって。

子供に「ちょっとぐらい我慢しなさい」って思わず言いたくなるときって
ありませんか?(私だけ?)

でも、大人にとっての「ちょっとの我慢」は子供たちにとっての
「ものすごい我慢」なのでは??

そして、大人たちにそう言われて、我慢を覚えて大きくなって
いくうちに自分の快適さをみつけるガイドとなる心の中からの声が
わからなくなるのでは?と思ったのです。

そういう目で改めて、レッスンにくる小さな子供たちを眺めると
自分の中にいる「ちょっとぐらい我慢しなさい」と言いたくなる自分の
存在に気づきます。(自分は我慢しないって決めた癖にです。笑)

一見なんでもないようなことを、なぜだかやってこない、、
というような時、「ちょっと我慢すればできるのに」と反射的に
思った自分を見つけて、びっくり。

おお。。なんということ!

そこで彼女たちをよくよく観察すると
なんだかやりたがらない時は
やはり必ずそこには「ストレス」が存在し
そしてそれは、小さな子供にとっては決して小さなものではない
ということがわかったのでした。

小さい子供は、ちゃんと自分心の快と不快をキャッチすることができますが
本人はなぜそれをやりたくないのか自覚できない場合がほとんど。
ただなんとなくそれを避けようとします。

小さい子供はそういう風にしか自分の気持ちを表現できないのですね。

感覚が鋭く、自分の快適さを知るセンサーの感度は抜群なのに
説明する力を持ちあわせていないことで、小さい子供は自分の心が守れないことが
本当に多いことでしょう。

自分の快適さを選択しているだけなのに、理解を得られずに
「我慢が足りない」とか「わがまま」とかいうレッテルを貼られることも
あるかもしれませんね。

レッスンで私が意識的に観察を深め「これが原因でやりたくなかったのかな?」と
丁寧に原因をみつけて、それを一緒に
解決していったときに子供たちが見せてくれた
安心と満足の笑顔をみて
子供たちの気持ちを押さえつけず、寄り添うことの大切さを
しみじみと感じました。

この気付きは自分が我慢をやめたからこそ
得られたもの。

我慢が多い人は、きっと知らず知らずのうちに
相手にも我慢を強いてしまう。
自分の心を大切にすることで、相手の心も大切にできる。

きっとそういうことなのですね。

快適な選択をし続けた先に、快適な毎日があるわけで
それを積み上げたものが幸せな人生なのだろうと思います。

そして答えのない「音楽」と向き合う時、やはり大切なのは
自分の「好き」をしっかりと感じていられることだと思います。
自分にとって好ましい表現、自分にとって快適な身体の使い方
自分にとって好ましい響き、自分にとって好ましいジャンル。。。。
自分の快適さを知ることで、音楽と自分らしい最高の付き合いが
できるのではないかなと思います。

だから快適さのセンサーは本当に大切。

性能の良い子供たちの大切なセンサーを壊すことのないよう
レッスンでは我慢して頑張ることを教えるのではなく
「自分の不快の原因に気づき、
それを建設的に解消していける方法」を
丁寧に教えていくことが本当に大切だと
実感した私でした。

ピアノの発表会

2011.02.11.11:08

今年の夏にピアノ教室の発表会をすることにしました。

1月にホールの抽選に行って参りました。

「発表会のホールとりは気合いである」と思っている私。

かなり人気のあるホールなので、気合いを入れにいれて
抽選にのぞんできました。

前日に、手帳の希望日に「発表会」と記入。
(もう、とれた気分になるため)

当日は、朝日をあびながら
希望日と希望会場名の入ったプログラムをイメージ。笑。

ばっちり化粧をして、いつもラッキーを運んでくる
「勝ち服」(?)を着て、でかけました。

会場では一番前にすわり、意識を集中。笑。

ホールの抽選は商店街のくじびきのようなガラガラをまわすものでした。
でてきたボールに書いてある数字の順にホールをとることが
できるのです。

発表会の日を決める前に、生徒に予定をリサーチしたところ
みんなの都合のよい日が一日しかないことが判明。

抽選会場には60人近い人がきておりました。
50番代などひいてしまったら、絶対に希望日を
とることはできません。

私がガラガラをまわせるのは26番め。

まわしにいったとき、まだ一桁があまりでていないことが
わかり、「この日をとらせて!!!!!!!」と念じて
ガラガラをまわすと、、、、

なんと「1番」!

めでたく、希望日をゲットすることができました。

あとで知ったのですが、どうやら2番をひいた人が
私と同じ日を希望していたらしく、1番だったから
希望日がとれたようでした☆

おお!なんかいい感じ。
楽しい発表会になりそう。

このミラクルを生徒や生徒のお母さんにメールしたところ
かなり盛り上がりました。

楽しい気分は広がって、みんなやる気十分。
軽くお祭り騒ぎとなりました。笑。

発表会は7月なのに、もう衣装を買ったよという人が
三名。笑。

そして、子供も大人も「何を弾こうかなあ」と楽しそうです。

とくに小さな子供たちは、まだ曲も弾けていないのに
「早く発表会にならないかなあ。楽しみだなあ」と目をきらきら。

そこで、ふと思いました。
「昔、こんなにみんな発表会を楽しみにしたっけな???」

ずっとずっと昔は、全然そんなことありませんでした。
ブルーになる子供たちを励まして、頑張らせた記憶が
あります。苦笑。

ここ数年は、みんなが発表会好きになる傾向にありましたが
でも、ここまでじゃなかったなあ。

そしてちょっと印象的なのは、発表会にでたことのない子までが
とてもやる気なこと。(これは、今までなかったのです)
不安がるかと思いきや、なぜかみんな
発表会やるよと言ったら「わあ~!」と目を輝かせました。

これって、なんだろう。
今までと何が違うんだろうな。

思い当たることと言えば、レッスンで弾く曲の自由度が
あがったこと。(全員本の中の曲を好きな順番で弾いてきて
よいと言っています。もちろん本人が本の順番にやりたければ
順番にやりますが)

あとは、以前にもまして「ミス」を重視しなくなったこと。

ミスは、練習不足というよりは
音の聞こえの問題(頭の位置とか、弦の振動の身体に伝わる具合とか)だと
いうことがわかるようになったので、
私のなかで「ミス」自体がどうでもよくなったのでした。

演奏の質をあげるために、頭の位置を調節して
聴覚がよく働くようにし、弦の振動が身体にきちんと伝わるようにして
身体の中からも音を聞こえるようにして、
演奏者が冷静に客観的に音を聴くことができるようにしていくと
演奏の質があがっていく中でミスはいつの間にかなくなってしまうので
私自身も無意識のうちに、ミスにこだわらなくなったのだと思います。

私がこだわらないので、生徒たち(特に子供たち)も
ミスにあまりこだわらない。
曲の仕上げは自分で決めるのですが
「この曲は気に入っているから、完璧に弾きたい」といって
間違えないようになるまで弾くときもあれば
「この曲は、ちょっと間違えたけれど、
全体はきれいに弾けたからもういいかな」と
仕上げるときもあり、いつも自分で判断するので
ミスによって「何か言われるのでは」という怖さは
少ないようです。(無いことはないのでしょうけれど)

発表会の怖さは、「間違ったらどうしよう」というのが
大きいので、生徒たちの中にミスを恐れる気持ちが
なくなったというのは大きいのかなと思います。

私の狙ったところではないので、とても面白い現象だなと思いました。

発表会では、みんなが好きな曲をみつけながら
自分がこれから「どういう音楽」と「どういう風」にかかわっていきたいのかを
見つけていってくれたらいいなと思います。

そして、それが人生において「音楽とどうつきあっていくか」を
自分なりにみつけられるところへ繋がっていったらいいなと思います。

さらに自分が楽しくピアノをひくことで
周りの人も楽しくハッピーになるという経験を
舞台で味わえるような発表会になったらいいなと思います。

なんだか、とっても楽しみです☆

鏡に映ったもの

2011.02.10.10:49

何か、「これはいい!」という
モノや人や考えに出会うことがあります。

そういうものに出会ったときはとっても嬉しいし
何かよい指針を得たような気持ちになります。

しかし、何か「これはいい!」と強烈に思うことは
同時にそれと相反するものを強烈に「よくない」と
思ってしまうことなのだということに気づきました。

ここ近年、私が「これはいい!」と思うようになった
価値観として、「どれかがよい」のではなく「どれもよい」
のだというもの。

それぞれの人の価値観であれ、起きた出来事であれ
特に意味はなくて、優劣や善悪で自分が勝手に分けて
いるだけなのだというもの。

過去に起きたできごとも、とくに意味はなくて
ただ原因があって結果として現れただけ。
自分がどう感じたかで、よいこと、悪いことと
意味付けしているだけ。

人の価値観も、それぞれの中で展開されている世界の
中で趣味によって採用されているというだけで
とくに優劣はない。
自分が好きな価値観なら素晴らしいと思うし、
そうでなければ、よくないと思う。
自分が勝手に相手を評価しているだけ。

優しさも同じ。自分がしてほしいことをしてくれるから
優しい人と思う。
優しさの表現は無数にあるから、自分と感性があわなければ
相手を優しくないと感じる。
そこにあるのは、ただの行動。

、、、と、こんな風に書いていくと
まるで私がいつもそう感じて、何事にも心揺さぶられず
生きているようですが、そうではありません。

すぐに心揺さぶられてしまうからこそ、
自分に「価値をつけているのは自分」と言い聞かせ
冷静になり、本当に起きていることが何なのか
判断できるようにと思って、採用した考え方なのです。

この考え方のよいところは、何かを嫌わないですむので
楽だという点。

相手が自分の期待に答えてくれなくても
相手は自分の思った通りに生きているだけだし
私が勝手に「あなたは私の期待に答えるべきだ」と
思っているから
心乱れる結果になっただけであって
本当は期待に答えなければいけない言われはないんだよねと
思うと、すっと楽になる。

この考え方に出会った時
「これはいいぞ!」と思いました。
ちょっと正しいものを得たような気分にさえなりました。

さて、そうやって暮らしていたある日。

「良い」「悪い」をはっきりと分けるのが
好きな人に出会ってしまいました。

彼女の話の中には、「これはいいけれど、これはダメ」という
話が延々とでてきます。

なんだか、その話を聞いていたら、居ても立っても
いられなくなってしまいました。

はじめは、自分の心のざわざわが何だかわかりませんでした。

相手の人はとってもいい人で
その「良い」「悪い」の話以外のときは
私はその人が好きだったので、
なんだかどうしたらいいかわからない気持ちになりました。

そのあと、あれは何だったんだろうと一人、考えました。

そして、やっと気づいたのです。

ものごとは「良い」「悪い」と意味付けしないほうが
「良い」のに、あの人ったら物事に「良い」「悪い」を
いっぱいつけてたりして、「良くないわ」と思っていた自分に。笑。

どれだけ、矛盾した思考なんだろうと大笑いしてしまいました。

さらに、自分の中に、相手の価値観を「嫌う」
ということに対する大きな恐れがあることにも気づいたのでした。

「好き」はいいけれど、「嫌い」はダメ、みたいな感じですね。

そこを見ないですむから、私は「ニュートラルでいる」この考え方が
好きだったのでしょう。

偏らないようにしよう!と思う考えさえ
つよく握ると偏りになる。
人の心の面白いことよ。。。

本当に偏らないで心でいたければ、偏らないぞという考えさえも
手放す必要があるんだろうなあ。

結局、握ったら人生がバラ色になるような安全な価値観はなくて
すべての答えは揺らぎの中にあり
快適さは瞬間瞬間のバランスの中に存在するのかもしれません。

瞬間瞬間を感じて、今の自分に気づきながら
自分なりの快適なバランスをその都度探していくということが
快適な毎日を送るためのキーになるのかもしれないなと
思いました。

そして、その瞬間瞬間の自分の姿を知らせてくれるために
鏡の役割として他者がいるのかもしれません。

今回、私は自分を映し出す他者から
「何かを嫌ったり優劣をつけることはよくないことだ」と
いう価値観を強く握っていますねと教えて
もらったのでしょう。

目の前にいる人は自分を映す鏡だという話をよく
耳にしますが、その意味がとてもよくわかった気がします。

身体は聞いている

2011.02.08.10:19

先週のこと。

ずっと我慢してやっていたことが、急に嫌になりました。

我慢するのをやめると、ブログに書いていたのに
我慢することをしていたの??

そうなんです。
基本的には快適な選択をしていますが
人生、どうしてもやらないといけないことに
ぶつかることもあったりするのですね。

嫌だなあと思っている癖に
平気な顔をしてやっていたのですが
本当にある日、「嫌だ!!」と叫びそうに
なるぐらいの気持ちが湧いてきました。

さて。どうしよう。

この状況の中で、なんとか得られる「快適な選択」を
探すことにしました。

まずは平気な顔をやめてみることにしました。

そして気持ちを立て直すために
ちょっとだけ休みをもらうことにしました。

まわりの人にそれを相談する前に
私は部屋で大きな声で一人で宣言しました。

「よし!ちょっと休ませてもらうことにする!決めた!」

そう言った瞬間、、
私の肩が、す~っと下がっていきました。

え??

嫌だなあと思い始めた途端
頭痛やら何やらが起きていたのですが
それはきっと、肩がきゅっと上がっていたから
だったのですね。

自分の身体が、私とは離れたとこれで
意思をもち、私の言葉を聞いて反応したような
感覚を覚えました。

まだ、何も行動していないのに
こうしようと心に決めて、そう言葉にだして
宣言した途端に身体が反応するなんて。

言葉は現実を作るという話はよく聞くし
言葉が大切なことは知っていたけれど
こんなに瞬間瞬間、自分の言葉に
身体が反応しているのだということに
驚きました。

いつもいつも、自分の言葉は自分自身が聞いている
のですね。

言葉に対しての認識が、さらに変わっていきそうです。

週末

2011.02.07.11:06

2月5日の土曜日は入籍記念日でした☆

金曜日には、夫が「入籍記念日イブだから」と言って
お花を買ってきてくれました。

Image141.jpg

黄色のお花たちは、なんだかハッピーなことを運んで
きてくれそう♪

さて、土曜日はというと
練馬のフレンチレストランにランチを頂きに
でかけました。

セルポワブルという小さなお店。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1321/A132102/13017077/dtlphotolst/1/

お値段控えめで、しかもとっても美味しいとネット評判だったので
予約。

当日は自転車をこいで(笑)レストランへ。

どうやら人気店らしくて、店内は満席。

小さなお店ですが、テーブルの飾り付けなどは
可愛らしくていい感じでした。
Image143.jpg

お料理は、量は多くありませんが
うわさ通り、どれもとっても美味しかったです。
写真をとるのを忘れましたが、パンが本当にさくさくなのに
しっとりしていて、とっても美味しかったです。

ご近所の方は、ぜひ一度行ってみてください☆
店内は地元の人が多いようで
フレンチといえども、かなり庶民的。

ちょっと人と会う時とか、家族のちょっとした
記念日なんかにいいかもしれません♪

美味しいお料理たち☆
Image144.jpg

Image145.jpg

ランチにデザートと紅茶つき☆絶品です。
Image146.jpg

実はこのお店、私が結婚前に一人暮らししていた家の
近所のお店だったのでした。
(ネットで地図をみて、びっくり)

よく自転車でお店の前を通っていたけれど
一度も入ったことがありませんでした。

引っ越ししてきた頃に、「いつか入ってみたいな」と
思ったものの、一人暮らしがはじまったら
気持ちもお金も(笑)余裕がなくて
そう思っていたことすら、忘れてしまいました。

昔昔に願ったことが、今頃叶っちゃうなんて
おもしろいものです。

お食事を頂きながら
きっと、今、「こうだといいな」と思っていることも
こういう風に、忘れたころに叶ったりするのかなと
思い楽しい気持ちになりました♪
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Whispers of Fairies

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プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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