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選曲

2011.09.15.11:29

十日位前のこと、お教室の卒業生のKくんが三年ぶりにやってきました。

Kくんは、北海道の大学に進学したので、お教室を卒業していった子です。

北海道という土地で過ごしたせいか、Kくんは
なんだか以前よりのびのびしている感じがしました。

高校生の頃は、勉強と音楽と読書と、、、というような生活を
送っていたKくん。

「いつ北海道から東京に着たの?と聞いたら
「北海道を出発してから、沖縄に行って、それから東京に」という返事。

大学生になって行動範囲も広がって、アクティブになったんだな。

受験生のときの、煮詰まった気持ち一杯の瞳を知っている私は
大学生になったKくんの晴れ渡った瞳をみて、なんだか
嬉しくなりました。

Kくんは、「あまり練習する暇なかったんで、昔弾いた曲、みてください」と
言って、受験期に一年間ずっと弾いていた
映画「ピアノレッスン」で使用された
マイケル・ナイマンの「楽しみを希う心」を
http://www.youtube.com/watch?v=yDWPDF09p-c
演奏しました。

一音だした途端。

「おお!」

全然、昔と音が違う。

音って本当に、演奏者の心を映し出す。
Kくんの音が、Kくんの心同様、あまりに明るく軽くなっているのに
Kくんと二人驚きました。
(彼もグランドピアノで弾くのは久しぶりだったので)

しかし。

受験のころ、あんなにピタッとはまって、上手くひけていた
あの曲なのに、ちょっと「うーん」という感じになりました。

色々、レッスンして以前よりも楽にきれいに音はだせているのだけれど
「なんか違う」

それはKくんも、同じで。
「なんだか、曲と自分の間に距離があります。」とのこと。

よくよく観察すると
彼の気持ちが音楽と寄り添うことを無意識に拒否していることが
わかりました。
(拒否というとオーバーですが)

「この曲の重さみたいなものに、もう共感できなくなっているんじゃないかな。
心のどこかで、弾きたくないと思っている感じがする。
もっと他の弾いてごらんよ」

そういうと、自作の曲を弾き始めたKくん。

すると音がキラキラと輝きはじめました。

これをみて、音を奏でるというのは
「その曲に共感し、心を寄り添わせること」なんだなと
しみじみ思いました。

そんなの当たり前、、と思う方もいらっしゃるでしょうが
ピアノのおけいこって、感性にあうとか、あわないとか
関係なく「勉強になるから」という理由で弾くことも少なくないのです。
受験を経験した人は特にです。

でも、本当に音を奏でる楽しさや気持ちよさを知るためには
今の自分の気持ちとしっくりいく、共感できる曲に
身を任せる体験をたくさんする必要があるんじゃないかなと
私は思うのです。

そして、今の自分の気持ちとあっているかどうかを
常に自分自身が、知っておく必要もあるのではないかと思います。

自分自身が、何も考えないで「勉強になるから」という理由で
選曲して弾いていたころは、生徒にも同じ理由で
曲をわたしていました。

「好き」「嫌い」も多少は聞いていましたが
でも、嫌いでもがんばりなさいと言っていたときも
ありました。

しかし私自身が、弦の振動と自分の心が共鳴することに敏感になってからは
これは「今は共感できない」と思う曲を弾くと
気分が悪くなったりするので(笑)
生徒に曲を渡すときには、その子の今の感性にフィットしているか
気を遣うようになりました。

そうやっていくと、みんな好き嫌いを言いだすので(当たり前ですが。笑)
レッスン自体は多少ややこしくなりますが
でも、そうするようになってからの方が
演奏を通して自分の心を表現することに生徒たちが積極的に
なったような気がします。

最近は思うのです。
一生の間に会える人、一生の間に読める本の数が決まっているように
一生の間に弾ける曲の数も決まっているのだと。

だから、できるだけ自分が心から望む曲というものに
敏感になって、そういうものを弾いていってほしいと。

そして、私はその希望ができるだけ早く実現するような
手助けができる人なりたいと思っています。
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人間関係に必要なもの

2011.09.05.11:19

入門してから11ヶ月の小一のNちゃん。

発表会を通して、ずいぶん楽譜が読めるようになりました。

楽譜と鍵盤の関係がしっかりと身体に入るまでは
練習するのが大変だったようですが
最近は、楽譜を読んでひくことが面白くなってきた
様子。

以前は、新しい曲に入るとちょっとした身構えがありましたが
最近は「これも弾いてみる~」と新しい曲に
どんどん挑戦するようになりました。

前だったら、私は、そんなときにすかさず
レッスンを先にすすめようと
「もう読めるようになったから、今度は演奏の質を
もっとあげて、、」と彼女の演奏に
いろいろ言っていたところですが、
彼女があまりに楽しそうだったので、しばらく
その気持ちによりそってみることにしました。

直そうと思えば、直すところはありますが
それを横において
「弾けたね。よかったね」「楽しいね」と
ただ彼女の弾けてうれしい気持ちを
受け止めて、それを単純に一緒に喜ぶということを
してみました。

すると、以前は
Nちゃんは、新しいことをはじめるときに
いつもとても躊躇する子だったのに
テキストの中で一番難しい曲のページを広げ
今までやったことのない両手奏に
自分で取り組みはじめました。

私に
「ちょっと、待ってて。これやってみるの」と言って
何回も何回も間違えても、楽しそうに
自分で考えて、何度も何度も弾くNちゃん。

どうにも困ったときだけ、ほんの少し力をかして
あとは、黙ってみていたら
とうとう弾けるようになってしまったのでした。

それは、いわゆる「レッスンで新しいことに取り組む」ときに
うまれる「何かを乗り越える」感じのストレスが全くない
幸せな楽しい時間でした。

先生の教えたいことを教えるのでもなく
先生の教えたいペースで話をすすめるのでもなく
生徒のことをよくみて、知って
生徒の望んでいることを叶えるために
ちょっぴり力をかす

そんな気持ちでレッスンに臨むことで
うまれる幸せな時間があることを
あらためて実感しました。

そこで、私はふとレッスンとは
関係のないことを思い出しました。

結婚したての頃のこと。

親にずっと教わってきた
「結婚した相手を大切にするとは
こういうこと」というのが
夫に全く通用しなくて困ったことがありました。

親に教わった「伴侶を大切にすること」とは
「相手の世話をやいて
お料理を一生懸命してよい妻になること」

しかし彼が望んだのは
「それぞれが役割にしばられず、生活のことは
出来る方がやりながら、お互い自由に楽しく
のびのびと暮らしていく」夫婦関係でした。

もともと自分のことは何でもできる夫は
自分のことに構われることが嫌で
「自由にさせてほしい」と願っていたので
当然ながらそこに大きな食い違いができました。笑。

しばらくは夫を放っておく罪悪感と戦った私でしたが
彼のことに手をかけず、自分自身が楽しく自由に毎日をすごし
必要な時にちょこっとだけ、彼のために何かするようにしたら
家の中の空気が一気に快適なものになりました。

そこで彼が一番欲しかったのは、「自由なのびのびした空間」
だったのだとわかった私。

そこで気づいたのです。

相手を大切にするというのは
「自分が信じている愛情の形」を押し付けることではなく
「相手を知り、相手が快適だと思う状況を作るのに
ちょっぴり手をかすこと」なのだと。

きっと人間関係ってみんな同じ。

相手と幸せな関係を作り、幸せな時間を過ごすためには
自分の思う「よいこと」や「愛」や「思いやり」を押し付けるまえに
相手の心を知ってそこに共感し、寄り添うことが大切なのですね。

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プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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