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内なるセンサー

2010.10.18.15:14

16日に、先日ブログに書いた、菊地めぐみさんのビューティーアップの講座の

http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-324.html

最終回に参加してきました。

講座の中で、めぐみさんがオススメのお手入れ方法やオススメの化粧品のお話をして
くださるのですが、その中でいつもおっしゃるのが
「お手入れ方法も化粧品も合うものはそれぞれ違うので、
ご自分に合うかどうか、ちゃんと肌の反応を確かめながら選んでください」という
こと。

これって本当に大切。

どういった化粧品をどのような方法で使い
どうケアするか、そしてその頻度は?

季節に応じ、体調に応じ、肌のコンディションに応じ
そして年齢に応じ、よく検討しながらお手入れをしていくことこそ
美しく年齢を重ねていく基本なのだと
めぐみさんの講座で学びました。
(そうやって丁寧にお手入れしている、めぐみさんの美しさが
それをはっきり教えてくれました)

そういうことって、文章で読むと「当たり前」のようですが
実際、自分のおこなってきたことを振り返ると
私には「当たり前」ではなかったことがわかります。

ずっと使ってきたという理由で、同じ化粧品をただ使い続けていたり
よいと聞いた肌のお手入れをガツガツやりすぎて肌に負担をかけてしまったり(笑)
肌が汚いのは体調を整えることを怠っていたり
食べ物や生活のリズムの乱れが原因なのに、それを棚にあげて
化粧品でなんとかしようとしたり。

そう。望む結果を得ることばかりに気をとられて
自分の肌、すなわち自分自身との会話を
私はずいぶん怠ってきたのだということに気づいたのでした。

自分の肌と対話する。
肌が何を訴えかけてきているかに耳を傾ける。
それは自分自身の心の声に耳を傾けることに
ほかなりません。

そんなことを思いながら、講座の後、受講生の方々とめぐみさんと
お茶を頂きに会場近くのカフェにいったときのこと。

受講者のMさんが、最近ヨガの先生の主催する二泊三日の断食にいってきた
ときのことを話してくださいました。

断食といっても、完全なる絶食ではなく
ほんのわずかな食べ物は頂くようでした。
そのときに、自分の身体が本当に求めているものは何かを
感じながら、頂くものを選ぶのだそうです。

厳選された必要最小限の食事をしながら、あとはずっとヨガの時間。

そうやって時間を過ごすと、自分の身体も敏感になり
身体にあうものとあわないものが、わかるようになるらしいです。

きちんと身体に聞きながら、食べるものを選ぶと
「世間でよいと言われているもの」でも、身体にあわないものが
あることがわかるとMさんはおっしゃっていました。

たとえば、玄米。
一般によいと言われていますが、身体をぎゅっと絞めてしまう働きが
あるらしく、玄米があわないMさんは食べると頭が痛くなると
おっしゃっていました。

その話を伺って、「ああ!」と思い出したことがあります。
一人暮らしをしていたころ、ウインナーを食べるとどうしてもその後
頭痛がしたことがありました。(なぜか結婚した途端、それは
ぴたりとなくなりましたが)

今回Mさんに伺ったような知識がなかったので
ウインナーを食べたら頭が痛くなる、、なんてあるはずない!
偶然、偶然と思っていましたが、、、
偶然じゃなかったんですね。

あのときの私の身体にはウインナーは合わなかったということ
だったのだと、はじめて知りました。

Mさんのお話では、本当に自分の身体にあったよい食事をするのには
自分の感覚を研ぎすまして、自分の身体の反応をみて選ぶことが
大切とのこと。

あれあれ?これって、さっきの肌のお話と同じ。

そして、「ウインナーはいやだよぅ~」という自分の身体の声に
「そんなことあるわけないじゃない!」と耳を傾けなかった私の
態度は、肌に対する自分の態度と同じ。笑。

そこで、さらに、、、あれあれあれ?
同じような話が最近あったような。。

それは、自分のピアノのレッスンでのことでした。

指が痛いということで数ヶ月前から私のところにレッスンにくるようになった
Iさん。今では、すっかり痛みも出なくなり、来月は人前で演奏をするのだと
熱心に練習を重ねていらっしゃいます。

豊かな感性をもち、表現したという気持ちもたくさんあり
回を重ねるごとにどんどん美しい演奏ができるようになるIさんは
とっても熱心でまじめな方。

レッスン中の質問もいっぱいです。

先日のレッスンで、椅子をどの位置に置くかという話になったとき
椅子を動かしながら
「ここですか?もう少し前ですか?座る場所はこれでいいですか?」と
おっしゃいました。

私も同じタイプなのですが、こういう風に
「自分の快適さ」を感じる前に、「どうするのが正しいのか?」という
情報を得ようとするタイプの人で、演奏時の痛みを訴える人は
とても多いように思います。

頭の位置や手の角度、足の位置、それに伴う椅子の位置、座る位置
そういったものは、「見て違いがほとんどないぐらいの微細」な
位置の変更を加えることで、演奏がとても変わったり
痛みがなくなったりするものです。

だから本当に正しい位置は、弾いている本人が
身体が快適で、音が聞こえ易く、目が見え易く、手がコントロールしやすいかという
基準のもと、身体の動きや位置を感じながら調節していくしか
ないもので、実のところ私はその調節のためのお手伝いしかできません。

そのことをお伝えするとIさんは、休ませていたご自身の
すばらしいセンサーに耳をかたむけはじめました。

すると、ちゃんとご自分で快適な座り方をみつけることが
できたのでした。

身体の状態は、体調、一日におこなってきた仕事、お天気、年齢などで
どんどん変わっていきます。(肌の話と同じですね)

だから、そのときの身体の状態をみて
その上で座る位置や手の角度も微妙に変化していく。

ということは、万人に有効な椅子の位置や手の角度や
動かし方などなく(目安はあるでしょうが)
とにかく自分の身体の反応を感じるということが
一番大切になってきます。

それを忘れて、椅子の位置や身体の動かし方の指示を他人(先生)にまかせて
自分の身体の様子に関係なく、言われたことを果たそうとして
演奏した先に、故障や痛みがあるのだと私は思っています。

少なくとも私はそうでしたし
今日いらしたIさんの痛みの原因もそれだと思います。

自分自身の快適な肌も、快適な体調も、快適な演奏も
自分の中の「内なるセンサー」からの情報に耳を傾け
それを大切にすることから生まれる。

「達成したい目標」に気をとられて、自分の身体を
自分の意思の奴隷にしてしまわないことは
自分を大切にして生きていく上で本当に大切。

そしてそれは、自分の人生を豊かに生き
心地よく快適に歳を重ねることのへ鍵になるのではないかなと
思いました。



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Secret

援助の形

2010.10.22.18:42

大学の”教育関係論”という授業をとっています。
教えるひとと教わるひとの関係についての授業を行うのですが、
直接そこから考えるのは難しいので、まずは
援助するひとと援助されるひと(例:医者と患者)という
もう少し大きいくくりから考えてみましょう、
という授業の展開が行われています。

その授業でいっていたのですが
従来の援助のモデルは
困っている、異質な状態のひとと、
困っていなくていわば正しい立場にいるひとがいて
正しい立場のひとが異質な状態のひとを
正しい状態へと引っ張りあげると考えられていたようです。
例えばピアノの先生が生徒の”間違いを正す”ように。

それが、最近の新しい援助の形として
援助する人が何かするのではなく
困っているひと自身がなんとかして困らない状態に
持っていけるように手助けする、
問題解決の主体を困っているひと自身におく形があるそうです。

困っていないひとが正しくて
困っているひとが間違っているのか。
困っていない人は正しいから間違えないのか。
そんなことはなくて、ちょっと何かが変われば
困ってないひとも困っているひとになりうるわけで。
困っているひとの立場を自分に引きつけて、
一緒に困ってあげて、何か手助けをするといいのではないか。
その方がうまくいく、なんて話を授業でしています。

なんか話し長くなっちゃってすみません。

なんでこんなことかいたかって言うと、
まさに先生のおっしゃってることと
授業の中身がかぶってるんですね。
しばしばそういう場面に出くわすんですが。
面白いなぁ、と思ってお伝えしたくて書いてみました。

面白いね

2010.10.23.16:33

私の考えている内容が、大学での授業の内容がかぶるというのは、面白いですね。

「援助」の形で、一番危ういのは、ただしいところに引っ張り上げてあげようとした「困っていない人」(助ける人)が「困っている人」(助けられる人)から自信をとりあげてしまうことがあるということ。

助けようとした人が
この人は問題があるから助けなければと思うと
助けられる人は
ただ体験して乗り越えるべき問題に
遭遇しただけなのに
「問題を抱えた人」にされてしまう。
(レッテルを貼ってしまうわけです)

助けようとした人が、
この人は私が助けなくては困ったことになると思うと
助けられる人は
それを解決できる力をもっているにもかかわらず
それに気づくチャンスを奪われ
「助けられないと問題解決できない人」に
されてしまう。

「助けよう」として相手に「問題のある人」の
レッテルを貼ったり、問題を横取りすることで
相手からエネルギーや自信を奪い取る結果になる場合も
あるわけですね。

レッスンで教えすぎると
生徒が自分で何も判断できなくなるのが
そのよい例ですね。
(私もずいぶんやってきました。苦笑。)

そう考えると、助ける人にできることは
相手の力を信じることや
相手の素晴らしさに光をあてることや
相手の話をきいて、その人自身の中に気づきが
訪れるための助けをすることや
求められた協力に応じることしか
ないんじゃないのかなと
思ったりします。

人に力をかすのは、とてもデリケートで
難しい問題ですね。

そう思っていながら、理想的にふるまえるときばかりでは
もちろんありませんけれど。

これはとっても深いテーマですね。

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Whispers of Fairies

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プロフィール

篠原みな子

Author:篠原みな子
作曲・編曲家/ピアニスト
2006/11/11にファーストアルバム「Whispers of Fairies」をリリース

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