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2011-02-21 11:52 | カテゴリ:レッスン
昨年末から、自分にとっての快適さをとても大切に生活するように
なりました。

http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-349.html

我慢をすることが習慣化していた私は
はじめのうち、よく考えないと「どちらが自分の本当の望みだろう」と
いうことがわかりませんでした。(びっくりです)

しかし、続けていくうちに自分の身体が「yes」と「no」を
知らせてくれていることに気づきました。

私の心が本当に望む選択のときは身体がウキウキ軽くなり
私の心が本当は望んでいない選択のときは
身体がど~んと思く憂鬱になります。

思考が「こうした方が後々いいんじゃないの?」と
ささやいても、身体に聞けば間違いなし。笑。

さて、このセンサーに耳を傾け行動すること数ヶ月。
びっくりするのは、本当に色々なタイミングが
あうようになったことです。

頭で考えると、その行動はどうなんだろうと思うような
ことでも、その通りにすると
まるで先のことを知っていたかのように
後でつじつまがあう。
(思考で、先のことを計算していたときよりも
あうのです)

たとえば、何かイベントに誘われたとき
普段なら行きたいのになぜか気分がのらない。。。というような
ことがありました。

特に用事はないけれど、どうしても身体が重くなるので
思いきって断ってみました。

すると。。
そのイベントの日、私は風邪をひいたのでした。
断った御陰で迷惑をかけることなくすみました。

もちろん、いつもいつもという訳ではありませんが
でもこういうことが圧倒的に増えたのです。

「今」の自分は「未来のこと」を知っているの?と
思ってしまうほどです。

そうやって自分の気持ちを大切にしていくと
今まで見過ごしていた
「ふと思ったこと」なんかも大切にできるようになってきました。

そして、この「ふと思ったこと」も結構すごいのです。

ふと予定を変えようと思ったとき
面倒でもそれに従ってみたら
あとで、「あれ?私は先のことを知っていたんだろうか?」と
思うほどに都合よくすべてのことがうまく流れることが
あったりします。

発表会の会場とりのときもそうです。
http://minnanoko.blog78.fc2.com/blog-entry-362.html

実は年明けすぐに近所のホールをとろうと思っていました。
でもなぜか身体が重い。

全く行動を起こす気がしない。
行けば、すぐに予約できるのに、身体からはドヨ~ンとした
重さが伝わるばかり。

そのうちそのホールは埋まってしまい、とれなくなり
「どうするつもり?私」と思いつつも動けず、、。

しかしある日、何の前触れもなく
突然ふと「ホールをとろう!」という
考えがあがってきました。

頭に浮かんだホールは都内の人気のホール。
はじめに思ったホールよりずっときれいで
いいホールです。
その上、立地条件もこちらのほうがいい。

しかし、抽選は激戦です。
とるの無理じゃないかなあ。。と思いつつも
ホームページを見て見ました。

、、、すると抽選日が二日後であることが判明。
その抽選にでかけるのに、いろいろハードルがあったのですが
それはみるみる解決していきました。
(ハードルを越えるためにも行動を起こすのが「二日前」である
必要がありました。「前日」ではダメだったので
このタイミングもすごいなあと思います)

抽選にでかけたら激戦の中、抽選番号は1番をひき希望日ゲット。。

な~るほど~~、こういう展開になっちゃうわけか、、。と
驚きました。

ふと「今!」と思ったタイミングに動くのも
大事なんだなと思いました。

ますます自分の心が信頼できるような気持ちになり、
自分の心のままに動くことが気に入って
それを楽しく実行していた私。

最近とある出来事にぶつかりました。

ある人からお願いごとをされたのです。
それは私にとっては、気持ちの重くなるものだったので
自分の心に従って無理だとお断りしました。

でも相手はひきません。

ちょっとぐらい我慢すればできるでしょう?と言うのです。

その人にとっては「ちょっと」の我慢でできそうなそれは
私にとっては、「ものすごい我慢」をしないといけないことでした。

その我慢が「ちょっと」なのか、「すごく」なのかって
人によってものすごく違うのだということに驚きました。

そして人は自分にできる我慢は相手にとっても
たいしたことではないと思うものなのですよね。

しかしそれを体験することで、ハッとしてしまったんです。

大人って子供によく、こういうことしているんじゃないかなって。

子供に「ちょっとぐらい我慢しなさい」って思わず言いたくなるときって
ありませんか?(私だけ?)

でも、大人にとっての「ちょっとの我慢」は子供たちにとっての
「ものすごい我慢」なのでは??

そして、大人たちにそう言われて、我慢を覚えて大きくなって
いくうちに自分の快適さをみつけるガイドとなる心の中からの声が
わからなくなるのでは?と思ったのです。

そういう目で改めて、レッスンにくる小さな子供たちを眺めると
自分の中にいる「ちょっとぐらい我慢しなさい」と言いたくなる自分の
存在に気づきます。(自分は我慢しないって決めた癖にです。笑)

一見なんでもないようなことを、なぜだかやってこない、、
というような時、「ちょっと我慢すればできるのに」と反射的に
思った自分を見つけて、びっくり。

おお。。なんということ!

そこで彼女たちをよくよく観察すると
なんだかやりたがらない時は
やはり必ずそこには「ストレス」が存在し
そしてそれは、小さな子供にとっては決して小さなものではない
ということがわかったのでした。

小さい子供は、ちゃんと自分心の快と不快をキャッチすることができますが
本人はなぜそれをやりたくないのか自覚できない場合がほとんど。
ただなんとなくそれを避けようとします。

小さい子供はそういう風にしか自分の気持ちを表現できないのですね。

感覚が鋭く、自分の快適さを知るセンサーの感度は抜群なのに
説明する力を持ちあわせていないことで、小さい子供は自分の心が守れないことが
本当に多いことでしょう。

自分の快適さを選択しているだけなのに、理解を得られずに
「我慢が足りない」とか「わがまま」とかいうレッテルを貼られることも
あるかもしれませんね。

レッスンで私が意識的に観察を深め「これが原因でやりたくなかったのかな?」と
丁寧に原因をみつけて、それを一緒に
解決していったときに子供たちが見せてくれた
安心と満足の笑顔をみて
子供たちの気持ちを押さえつけず、寄り添うことの大切さを
しみじみと感じました。

この気付きは自分が我慢をやめたからこそ
得られたもの。

我慢が多い人は、きっと知らず知らずのうちに
相手にも我慢を強いてしまう。
自分の心を大切にすることで、相手の心も大切にできる。

きっとそういうことなのですね。

快適な選択をし続けた先に、快適な毎日があるわけで
それを積み上げたものが幸せな人生なのだろうと思います。

そして答えのない「音楽」と向き合う時、やはり大切なのは
自分の「好き」をしっかりと感じていられることだと思います。
自分にとって好ましい表現、自分にとって快適な身体の使い方
自分にとって好ましい響き、自分にとって好ましいジャンル。。。。
自分の快適さを知ることで、音楽と自分らしい最高の付き合いが
できるのではないかなと思います。

だから快適さのセンサーは本当に大切。

性能の良い子供たちの大切なセンサーを壊すことのないよう
レッスンでは我慢して頑張ることを教えるのではなく
「自分の不快の原因に気づき、
それを建設的に解消していける方法」を
丁寧に教えていくことが本当に大切だと
実感した私でした。
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